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2006年11月30日 (木)

負けたと思った瞬間

道端の自動販売機で温かい紅茶でも買おうと、バッグから財布を取り出す。すると小銭がない。仕方なく、千円札を取り出したところ――手元が狂い、落としてしまった。

運悪く、冷たくてちょっと強い風が吹く。

落とした千円札はフワリと浮き上がったと思いきや、販売機はおろかアサッテの方向へ地面を滑っていった。
「ヤバ、千円落とした!」と内心仰天し追いかけようと足を踏み出した瞬間、通りすがった一人のオバサマが、その足でしっかりと千円札を踏みつけてくれた。

ありがたい。

「すみません、どうもありがとうございました」と明るく礼を言いながら駆け寄ると、オバサマはポカンとした顔をしていた。無理もない。道端で突然、千円札を踏みつけるなんて機会はそうそうないのだから。また買い物帰りなのだろう、オバサマの両腕は、スーパーの白い袋で塞がっている。これは申し訳ないと、私はオバサマの足元にしゃがみこんだ。

「足を上げて頂けますか? 私、自分で拾いますよ…本当にすみません」
「何言ってるのよ」

オバサマは親しげな声でそう言うと、スーパーの袋をドサリと降ろした。思わず私は立ち上がってしまったが、優しい方でよかったと胸を撫で下ろす。お金を踏みつけるなんて偶然にしてもバチあたりな行動をとらせてしまった上に、買い物を終えてさっさと帰宅したいだろうに、赤の他人からこんな手間をかけられているのだから…仏頂面をされても、仕方がないと思っていたのだ。

「そんな、申し訳ないです…自分で拾いますよ」
「だから、何言ってるのよ」
オバサマは前屈し、片足をひょいと上げて千円札を拾ってくれた。面倒だろうに…本当に優しい方でよかった。せっかくなので、自販機でお好きな飲み物でもご馳走しよう。

「どうもありがとうございます」私は頭を下げる。
「だから、何言ってるのよ」

本当にオバサマありがとう、と心の中で恐縮し、頭を上げた――その瞬間。



「これ、私が落としたのよ」



…………………えぇっ?



「私がさっき、財布から落としたの。アナタも落としてしまったの? ドコに行っちゃったんだろうね…でもゴメンね、この千円は私が落としたものなの」

オバサマ、笑顔で何言ってんスか。



嘘だろ絶対嘘だろだってさっき落としたときオバサマの方向へ飛んでったワケだしオバサマが足で踏みつけるの微かに見た気もするし同時に二人のオンナが千円落とすなんて意味不明な偶然あるワケねーだろ絶対だから絶対にこの千円は私のだって間違いないんだナゼならオバサマの表情が……

心なしか、嬉しそうだから。




でもそのまま、「あっそうですかスミマセン」と謝り何も言えなかった私は、間違いなく負け組だ。

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2006年11月28日 (火)

朝鮮総連と在日コリアンと国籍と

またまた朝鮮総連が強制捜索を受けたわけだけれど、一体これで何度目となるのだろう。これほど踏み込まれていながら、未だ存在していることに日本政府のヌルさすら感じる――善良な在日朝鮮人の方には申し訳ないのだが。

今日捜索されたのは朝鮮総連東京都本部・世田谷支部・渋谷支部・新潟出向所など合計六箇所。渋谷支部、って言いづらいなぁというのはさておいて、何でも薬事法に違反したと物騒なことだが――なんてことはない、ただの不正輸出計画である。

●11月27日、朝鮮総連関連施設に強制捜査

今年5月1日、東京都世田谷区の耳鼻咽喉科医師が、在日本朝鮮人科学技術協会(科協)の幹部の妻に頼まれ、医薬品販売業の許可ナシに薬品――輸液パックや肝臓治療薬など――を譲渡。注文したこの女性は、薬品を手荷物に隠し、5月18日に万景峰号で北朝鮮へ運び出そうとしていたという。
手荷物として持ち込み可能な総額は30万円以内と決められているため、このときは東京税関の指摘により不発に終わる。しかし、東京税関は警察へ通報しその後調査された結果、科協関与の可能性、そして何より万景峰号が朝鮮総連による事業であることから、今回の強制捜査に踏み切られた。
また、既にニュースで数多報道されている通り、この肝臓治療薬は被爆患者に効果的らしく、5月には核実験遂行を計画していたことが予想される。

これに対し、朝鮮総連ホームページ上では熱っぽい反駁がされている。なんでも「薬事法違反はデッチあげ」と言いたいそうで――まぁ、とりあえず追及されたら不当弾圧・人権侵害だともはや空洞化した単語を並べ、お決まりの被害者論理を展開するのは、さすがに説得力がない。ひょっとすると学もないのかもしれないがそれはさておき、彼らが怒りを表す以上は手痛い仕打ち、つまり有意義な強制捜査であったことは間違いがないので――公安部の皆様、ありがとうございました……としかまとめ様がない。

しかしこういったニュースを観るにつれ、気の毒なのは一般的な在日朝鮮人の方々で、例えば家族が北朝鮮にいる、あるいは祖先の出身地が北朝鮮内にある、といった理由で朝鮮籍を選択している方々にとって、日本国内で彼らの代名詞ともなりつつある朝鮮総連がこの有様では、全く参ってしまうだろう。いや、気の毒だと言っても、それはまさにデラシネとなりつつある現状が一人の人間として同情しているだけであって、万が一北朝鮮国家といよいよ何かやらかす際には、お帰り頂くといった筋を通すべきだ、と日本人としては思うが――やはり気の毒である。
個人的に日本へ悪影響を与えず、また理屈の通らぬ権利を主張しないのであれば、日本に在住する外国人として、彼らが安らげるような団体を組むのも良いと思う。生まれ故郷に心惹かれてしまうのは人間の常であるし、例え北朝鮮がどのような国家であろうと支持するのは自由なのだ。ただ、日々北朝鮮との関係が悪化している日本に在ることを意識するといった、客観性が保たれているのであればよい――理想論に過ぎないし、いつか再び朝鮮総連のような団体となってしまう可能性もなきにしもあらず、だが。

●在日"朝鮮"人は減少している、けれど…

その在日朝鮮人だが、拉致事件発覚後、朝鮮籍の在日コリアンは減少の一途を辿っているという。なんと年に一万人も、韓国籍への移行、あるいは日本へ帰化を選択しているというのだ。朝鮮学校へ通う学生も減り日本の教育を受ける若者が多いようだし、そもそもその朝鮮学校の経営そのものが貧窮しているらしい。若者たち、あるいはその親たちには、既に北朝鮮や朝鮮総連を見捨てる選択肢がごく普通に生まれているとも言える。
しかし隠れ蓑として韓国籍・日本籍を取得する輩もいる。どうしても朝鮮半島に縁故のある国籍でいたい、もしくは韓国人・日本人として生きる覚悟が芽生えた、などといった素直で筋の通る理由であれば問題はないし、もちろんそういった真っ当な方々もいるのだけれど、厄介なのは朝鮮国籍であっては"動きづらい"とする人々だ。一体ナニが動きづらいのかもはや明白だけれど、このような心情で国籍を移行する在日朝鮮人も少なからず存在するのだ。

このような現状を生んだ背景として、法務局による審査の手ぬるさが挙げられるだろう。朝鮮籍から韓国籍への移行など、映画「GO」で観られたようにあっという間――5分もかからぬ早さである。
日本に帰化するにあたっては、特別永住権を持ち、それなりの生活基盤を築いた在日コリアンにとってみれば、住居や経済力の審査は楽に通過できる(他外国人に対してはここの審査も相当厳しい。貧困に悩む外国人が日本国籍を取得・永住し、生活保護を受け取ろうと疑われるためである)。またその他帰化条件としては、祖国と日本での素行や、日本政府に対する暴力的な反政府的行為に携わったか、あるいは賛同したかなどがチェックされ、韓国籍への移行よりもいささか手間がかかるのだが過分な隙間がある。「帰化」してから反政府的行為に手を染めればよいのだ。

国籍移行とは、本来個人にとって一大イベントではないのだろうか。これまで自らを育んだ言葉や土地など、運命づけられた温かい柵との一種の決別であるし、それでも尚、この国の人間となりたいという強い願いと覚悟が生まれた故の行為のはずだ。このような本筋からハズれた選択肢をとる輩もみっともないが、日本として帰化審査をするにあたっては、本人の意志の裏までしっかり見据え判断するべきだろう。また在日朝鮮人の韓国籍への移行も、同じ言語を使用し生活習慣を抱く民族であっても、その政治思想は大韓民国と北朝鮮では既に大きく異なるため、念入りな審査を行うべきではないだろうか(行えないのであれば、対応策を練るべきではないだろうか――北朝鮮と日本は友好状態ではないのだから)。
国籍を隠れ蓑にされて困るのは私たち日本人なのだし、そもそも国籍は利便性が追求されるような道具ではない筈なのだ。

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2006年11月25日 (土)

11月のスロット。

何回か打ちに行ったのだけれど、しょうもなく負けてしまった。それ以来、ますますスロットへのモチベーションというか、期待感が薄れてしまって、打ちに行きたいという気持ちになることもそうなくなった。なぜかって、それはそれは、悲しい負けっぷりだったのだ。共感して頂ける方がいらっしゃることを願って、ちょっと振り返ってみよう。

愛鳥自身でエサをついばむようになったこと、そして体重が増加傾向にあることを確認、またそろそろ年末が近づいていることを思い出したころ、実に三週間ぶりにホールへ足を運んだわけだが、なかなか期待の持てるイベントが開催されていた。例えば秘宝伝や番長が1/2、北斗SE全台が設定6、また全機種に設定6が投入済みと――いや、いくら厳しい4.7号機と言えど、そこまで設定6を投入しては相当の赤字が見込まれるのでガセの可能性は高いことは承知していた。けれどもいつも足を運ぶホールなので、私も旦那もそれなりに観察した結果、まぁ設定6もそこそこ入っているような雰囲気であるし(例えば秘宝伝は1/3くらい)、中間設定がふんだんに使われている感もある。少なくとも通常のオール1ではないことは確かで、上手く立ち回れば勝率の上がる可能性も高かろうと、意気込んで行くわけだ。

●1日目~超能力が欲しいと願った日~

もともと秘宝伝も北斗SEも、絶対に打たないと決めているので――なぜかって、どちらもコイン持ちが悪いし、低設定を掴んでしまったら最後だし、ハイエナできるような台もそう落ちていないので――バラエティコーナーや、番長、鬼浜、あるいは5号機のシマで設定が良さそうな、あるいは初当たりまで投資がかさまぬような台を探す。

まぁ、そんなこんなで、鬼浜爆走愚連隊、2回のボーナス後470ゲームほど回った台に着席した。スイカ確率は1/200と、前任者が数回取りこぼしていてくれれば、まぁ高設定の望みもなくはない。そしてこの日、何より鬼浜の客つきは悪かった。おそらく激アツの秘宝伝や北斗SEに流れていたのだろうが、とりあえず全機種に設定6投入なのだ。未だ高設定らしき台は見られないし、一応、この台に賭けてみても良いと信じた。470ゲームまでにボーナスが放出されない鬼浜に、どれほどの高設定期待度があるのか果たして微妙だが、低投資で――つまり600ゲームあたりまでに――ボーナスが放出される可能性もある。

……と、このように、一応私なりに色々考えた上で、台選定をしたのだが。

いつの間にかデータカウンタが1100ゲームを超え、一体ナニがなんだかワケが判らなくなった頃、REGが放出された。その後、128ゲームをスルー。
こう言ってはなんだが、超能力が欲しいと思った。REG単発とは、吉宗同様、非常に精神的ショックが大きい。というのは、ボーナスが放出されたのになぜか追加投資、勘弁である。最初から判っていれば、絶対に打たない。いや、無理なのだけれど、なんとか超能力を下さいと天にまします神に願うのだ。小学生の頃、机から落ちたシャープペンが念力で戻らぬかと願ったのと似ている。いわゆる悪あがきである。

それでも、これ以上の悪あがきに走らず、ホールを後にした。家を数時間空けるのは久しぶりだったので、愛鳥が心配だったのだ。ナナカフェで連チャンに恵まれた旦那ともども、帰宅した。

●2日目~コレぐらいで勘弁してやるか、の日~

そして翌日、そのホールは同じイベントを開催していた。なんでもその週は、ホールあげての激アツイベント週間らしく、前日よりもさらに大盛況で秘宝伝・北斗SEは満席だった。番長も空き台は数台と、九割近くが稼動していて、別積みされたドル箱がそこら中にあって出玉も圧巻だった(だからといって必ずしも店がマイナスではないのだけれど)。この熱気に自分も混じれるよう願った。

この日は番長で勝負した。BIG5回、REG4回、ボーナス後150ゲームの空き台だ。普段ならせめて360ゲームまで回ってなければ触れぬ機種なのだけれど、この台に限っては謎解除(特定役解除)の後、連チャンしているので気になった。また朝イチ2ツブでボーナスが放出されている。RT解除ならばリセット濃厚、また97~128ゲーム以内の放出ならば設定4以上の期待が高まるし、謎解除であればますます純ハズレとやらを期待してしまう。少なくとも660ゲームまではヤメまいと着席した。

するとものの数十ゲームでチャンス目解除らしき幸運に恵まれ、BIGが放出される。そのBIG中にJACハズレ、次のBIGでJACハズレと、全てJACハズレによる1G連に5回当選しドル箱モリモリ状態となる。嬉しい。隣のお兄ちゃんの不審な視線を感じ、心の中で「何も持っていないよ」と連呼し、とりあえず腕をまくって消化した。
有難く嬉しかったのだが、当選した1G連は全て赤7であったこと、その後天国モードへ移行しなかったこと、何より投資が数千円で済んだことを理由にヤメた。もちろん高設定の可能性は拭いきれないけれど、番長の高設定は粘っても仕方がない。設定6を終日打って二千五百円負けた経験を持つ私は、苦手意識があるのだ。特定役解除に当選しなければ、設定1も6もほぼ同じ機種なのである。

というわけで、この日は「まぁコレぐらいで勘弁してやるよ」と気分よくホールを後にした。旦那もナナカフェで(どうやら好みらしい)即連モードの恩恵を受け、二人ともプラス収支と充実した日だった。

●3日目~口からエクトプラズムが流れるのを体感した日~

そして翌日、またまた旦那と連れ立ち打ちに行く。同じイベントが開催されていたし、特に旦那は二日連続でプラス収支だったので、モチベーションが高まっていたらしい。私もこの日勝てれば、三日合わせてプラス収支となる。二人ともヤル気は十分だった。

相変わらず秘宝伝・北斗SEの盛況ぶりには驚く。いや、秘宝伝は当然であるとしても、北斗SEが満席とは滅多にない光景なのではないだろうか。SEは全台設定6であることが本当だとしても、一人ぐらい毛嫌いする方がいてもおかしくない機種だと思うのだが…いやはや、この二機種の眺めは圧巻だった。
バラエティコーナーにも番長にもピンとくるような台もなく、5号機はなぜかほぼ満席、空いていても確率からするに低設定の可能性が高い台ばかりだったので、鬼浜のシマへとたどり着く。半分近くが稼動していたのだが、空き台から、あまりハマらず、スイカ確率もまずまず、連チャン率も半分以上の台を探すも――そこまで判断できるほど回っていない台ばかりが空いていて、困った。

仕方がないので、ノーボーナス250ゲーム回った鬼浜に着席する。言うまでもなく鬼浜は宵越しが狙える機種であるし、この台は鬼メーターが三つ点灯していたのだ。なるべく低投資での初当たり、その後の連チャン、またできることなら高設定であることを願っての台選択だった。

そしてその後、アッサリと――1150ゲームへ。ビックリした。ホンモノの天井に到達したのだろう。黒目のないコウヘイを倒した後、「天下無敵!」と溌剌とした声が響く瞬間、これが、ホンモノか…と一人溜息をついた。右リールに特攻図柄が停止したときは、「だったらなんで先に言わない」と意味不明に台を責めた。
無論、REG単発。スイカ確率も芳しくないため、台を離れた。

またまた旦那はナナカフェで楽しくボーナスを消化していたため、私も意を決してもう一勝負しようと、ホールをうろつく。

そんなとき目についたのが、バラエティコーナーにある黄門ちゃまである。BIG10回、REG9回、総回転数は千五百ゲームほど。確変が連続したのかと思いきや、200ゲーム代(つまり3ツブ)での放出がちょこちょこ目立つ。またデータカウンタでは確認できないが、総回転数が千五百ゲームならば、400ゲームはおろか600ゲームを超えることはなかったはずだと予想した――つまり、設定6の期待度が高いと判断したのだ。

そんなわけで、150ゲームで放置されていたその黄門ちゃまを打ち始めたのだけれど、いとも簡単に800ゲームを超え――REGが放出された。お祈りが効いたのか確変に突入し、再びREGが放出され、それで確変は終了した。
とりあえず250ゲームまでは打ってみようと根気良く回し続ける。諸国を漫遊する黄門ちゃまは、たまに大根を引っ張ったり、雪合戦をしてみたり、頑張ってくれるけれどウンともスンとも言わない。あっさり128ゲームを超え、もうほんと、勘弁して下さいと願いながらレバーを叩いたその時。

フリーズ。

神様って本当にいるのかな、と心が温まった瞬間だった。

BIGののち、確変へ。

その後REGが放出され、強気でBETを押すも…終了した。一瞬「なんじゃこりゃー」と心の中でわめいたものの、まぁ連チャンの可能性がないわけでもない。強気で、自分の選択したモードとRT振り分けを信じて、心を込めて打ち続けた…のだが。

280ゲームをスルーした。当然、フリーズで獲得したメダルも全てノマれ、手ひどく負けてしまったのである。

このとき旦那は鬼浜で楽しそうに連チャンしていて……「絶対コレ6だよ6♪」とほくほく顔で打っていた。口からエクトプラズムが漏れている嫁に向って、「ふーん、負けたんだ」と一言、その後「鬼浜ってこうなるとホント楽しいよなぁ」と満面の笑み。
ウザかった。コイツはいつもこうだと、苛立ちやら悲しみやらが込み上げてくる。とりあえず殴ってやろうかと思ったが――イヤ待てこんなときこそ平常心だ、と自制心が湧いた。一応私もオトナなのだから…と言い聞かせ、コーヒーガールのオネエサンにココアを注文して、ロビーのようなところで新聞を読んでいた。本当だったらこんなとき、マッサージに行ったりちょっと買い物をしたりと、他の時間のつぶし方もあるのだけれど、負けているので出費を抑えたい気持ちが働いた。

一時間後、旦那はまだ鬼浜を打っていた。連チャンは抜けたようだけれど、決して400ゲーム以上ハマることなく、まったりと打っている。あれから出玉が増加しているわけでもないのだからヤメてもよいのだが、旦那なりに設定6だと判断したのだからそういうわけにもいかないだろう。「お前ももうちょっと打ってくれば」と再戦を勧められ、まぁ気分も落ち着いたことだし…と再びホールをうろつき始めた。

かといってもう、鬼浜を打つ気分にもなれなかったし、こんな日に番長で勝てるはずもないと気弱になっていた。せめて高設定らしき5号機が空いていてくれることを願ったのだけれど(高設定だからといって終日粘る方が少ないので)、さすがに埋まっている。秘宝伝は大盛況で空き台はないし、SEなんて絶対に勝てない。どうしようどうしようと、店員が「あんた邪魔だ」と眉を潜めるほど賑わうホールを歩き回ったところ――ある台に食指が動いた。

一平様である。

もとい、「俺の空」であって――BIG15回、REG10回、総回転数3200ゲームほど。3ツブでの当たりが目立ち、データカウンタで確認できた最大ハマリは5ツブつまり400ゲーム代。俺モードにも移行して2~3連しているようだし、なんだかもうよくわからないけれど他の台に比べてボーナス回数が多かったし、ヒマだし、やってみようと思った。160ゲームでヤメられていた。

一平様は基本的に女性に優しいはずだ。一途で、芯の強い、善良な女性には間違いなく一平様は微笑むはずで――例えそれがパチスロで大負けし、みっともないオンナであろうともである。少なくとも私は「勝ちたい」という気持ちに関しては一途であるし、芯の強さと善良さが備わっているかはともかくなのだが、それだけは強く残された気持ちだった。きっときっと一平様は、カジノホテルを賭けた際と同様に私と戦ってくれるに違いない。

やはり一平様は優しかった。普段はヒケないイライラするリプ3連も、チャンス目も、あっさり成立させてくれる。前兆演出を味わいながら、ありがとう一平様、俺タイム頑張るからねと強い気持ちを込めながらレバーを叩く。

しかし、俺タイム中、リプレイが4回しか成立せずあっけなくスルー。

……一平様?

ゴルフって難しいものね…ともはや心はスロットを離れ、一平様と会話しながら打ち続けた。その後、再び俺タイムに突入するもあとリプレイ1回、というところで俺タイム終了。

……一平様?

それでも通常時のリプレイ3連を、実に調子よく成立させることができて――またまた俺タイムに突入するも、スルー。

……一平様……。

……疲れてヤメた。

もうやってらんねーぞ、と意味不明に番長打ったら天井REGを食らった後、旦那が「そろそろ帰ろうか」と、まるで遠足帰りの子供のように充実した表情でやってきた。すっげームカついた。いや、旦那が勝っていなければ我が家の家計はとんでもないことになっていたし、旦那が勝っていたからこそ様々な台で勝負ができたわけだけれど、わかっているのだけれど、すっげームカついた。

そんなわけで、三日間合計で私の収支は…ちょっと言えないけれど言ってみると、マイナス十万円ほどなのだけれど(ぎゃああぁ)、旦那が三日間合計で十五万近くプラスであってくれたため、二人トータルではプラスとなんとか、まぁ、よかったわけだけれど、ひどく精神的に参った。こうして思い出しているだけでも、もう二度とあんな目にあいたくないという――恐怖感が込み上げてくる。そりゃ、負ける日だってあるけれど、一日で三日分の負けをくらうとどうしようもなく気だるくなる。もちろんこんな大負けは初めてではないにせよ、一歩踏み間違えれば大変なコトになるのだと改めて感じると、とりあえず家に籠ろうと思うのだ。

そんな十一月ももう終わりにさしかかっているが、果たして来月は打ちたくなるものかどうか…この日の記憶が風化する頃、またホールへ向うのかもしれないが、このままスロットからフェイドアウトしつつある自分を感じなくもない。ハァ、全く、こりごりだ。

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2006年11月22日 (水)

在日Redとやらが振り撒いた色々。

なんでも、今から五年前――2001年10月に、総合掲示板サイト2ちゃんねるに立てられた一つのスレッドが当時、相当な物議を醸したそうだ。相当な、と言っても、それはあくまでもネット上での騒ぎであって、例えばマスコミが動いて連日報道がされたとか、ワイドショーを賑わせたとか、明るいメディアのもとで始終取り上げられたわけでもない。スレッド上でのレス、あるいは他のブログやホームページといった、インターネット上でかなり話題となった。特に今回の内容が人間の倫理観に関わる事由であったこと、そして現実の犯行予告声明がまれに出現するといった2ちゃんねるの特性から、様々な方々に注目されるに至ったようだ。

まずコチラのリンクをご覧になって欲しい。スレッド名は「在日医師こそ日本人をこらしめられるエリート」とある。何でも、ネット上で(特に2ちゃんねる等での掲示板)よく見られる嫌韓的な発言に立腹し、日本人の患者に仕返しをせんと思いついた"在日医師Red"なる人物が――当初は他の在日コリアン医師に呼びかけるつもりでスレッドを立てたようである。ここに一番初めの彼の発言をペーストしておこう。

1 名前: 在日医師Red 投稿日: 01/10/13 01:35 ID:???

日常生活では差別は受けたことないけど、
2ちゃん見ていると、朝鮮民族に対して
差別的な発言が目立ち、なにかとムカツク。

近畿地方では、医師の中にかなりの割合の(約10%?)
在日がいる。もちろん俺もその一人。

ネットしていてむかついた腹いせに、日本人の患者を血祭りに上げませんか?

……血祭り、って……。滅多に日常で使用しない言葉なので一瞬ひいてしまうものの、ちょっと笑えない冗談である。この一言では発言者が在日コリアンで、また医師だと断定できないが、本当に医師であった場合ぞっとしてしまう。彼が在日コリアンであることなどの出自云々よりも、医師の全うすべき職務より大きくハズれた行動をしてやろうとする、その心情が読む者の眉をひそめさせる。ただでさえ医療ミスの目立つ風潮で「医師」を名乗る人間がこのような発言をすると、相次いだ医療ミスはもしや…といった疑念、また医師であろうと共に病と闘ってくれないのだ、という失望を抱いてしまう。

もちろん医師であろうと人間なのだから、不感症である筈がない。中には苛立つ患者もいるだろう。しかし、診療・治療の対価として金銭が支払われている以上、彼らは患者の要求に応えるべき使命があるし、そこに私情を挟んではならない。免許を持ち、対価が支払われているプロなのだから、どんな状況であろうと任務を全うすべきなのだ――例え、恣意的なナショナリズムが心に疼いていようと、である。そもそもそういった職務を選んだ責任は本人にある。プロの道から外れ、個人的な鬱憤晴らしをしたいのであれば――もちろん犯罪行為に手を染めるべきではないが――辞職すべきなのだ。

展開の詳細は元スレッドをご覧になっていただきたいのだが、この後、"在日医師Red"がホンモノの医師であるのか質問者によって確認され(ある症例に対する医療行為を具体的に質問し、医学的に真っ当な返答がされた)、ますますスレッド内のやりとりが過熱していく。彼に対する人道的な見地を問う発言もあれば、日本に多くの在日コリアンが存在する歴史的経緯に対しての議論、また現在の在日コリアンに対する行政の対応を巡る論議が行われる。言うまでもなくネット上、こと2ちゃんねるにおいては右傾化した人間が多い。近頃ネット右翼なる単語が生まれた程で(場合によっては私もその一人に入るかもしれないけれど)、この"在日医師Red"なる人物が一斉に叩かれるのは想像に易いことだろう。それはもう、酷い有様なのだが、彼の発言もなかなか酷い。

139 名前: 在日医師Red ◆kLTDNHHY 投稿日: 01/10/13 15:28 ID:???

まあとにかく、むかついたんで俺は患者に八つ当たりすることにする

140 名前: 在日医師Red ◆kLTDNHHY 投稿日: 01/10/13 15:28 ID:???

覚えとけぼけ反韓ども。 「先祖の恨み思い知れ」みたいな

217 名前: 在日医師Red ◆kLTDNHHY 投稿日: 01/10/14 02:12 ID:???

>>216
相手に自分の尊厳を認めさせるためにはステップがあると俺は思う。
相手がなんの恐れの感情も抱いていないときは、俺を完全に見下しているときだ。
相手がこちらに嫌悪感を抱いているときは、少しは俺の存在に注意を払っている証拠。
相手がこちらに恐怖心を抱きはじめた場合は、俺を同格としてみなし始めた証拠。

十分な恐怖を相手に与えてこそ、侮辱認識は払拭される。
嫌われるのを恐れて侮辱するものに迎合していては自分のステップアップはないであろう。

かつて在日に国民健康保険の適応もなかったころ(とんでもない話だ)、それに抗議する在日に対し、
「文句があるなら韓国に帰れ」
と罵倒を浴びせるやからが多かったと言う。
それに屈せずに自分の尊厳を主張し続けた結果、当たり前に医療保険を利用できる我々在日3世がある。
当たり前に経済生活を営める我々在日3世の姿がある。

当時の2世たちが、悪意に屈して引きこもり、主張や権利要求をあきらめたら、いつまでも舐められたまま。
在日の権利を擁護するためには、俺たちのような力のある存在が日本人に抑止力としての恐怖を与えなければならない

309 名前: 在日医師Red ◆kLTDNHHY 投稿日: 01/10/14 04:21 ID:???

なんだお前らわんさか沸いてきやがってもうマジで頭来た!!!

覚えてろ、明日だ!!明日!!

327 名前: 在日医師Red ◆kLTDNHHY 投稿日: 01/10/14 04:44 ID:???
>>323
くだらん。お前らが思い上がってるだけと言うことに気づけ。
文句あるなら直接韓国人なり政府なりに言ってみろ。
それができないっつーことはお前らの嫌韓感情はなさけない愚痴にすぎないってことなんだよ。

日本を敵に回す?それがどーした。おまえらのいいなりになったら国が滅ぶだけだろうが。
侵略者の子孫が何をえらそーに。

少々長くなったし、下線部は私によるものなのだけれど、それにしても乱暴な物言いが続く。ナショナリズムの前では理性も吹っ飛んでしまうらしい。ネット上で自らの意見を感情的に述べる姿勢は国籍に関わらず恥だと思うが、それほどに"在日医師Red"が日本との歴史的経緯やネット界での現状に憤りを覚えているのだろう。また、ある意味では、日本での境遇に疑念や怒りを抱く在日コリアンの、本音っぽい言葉を聞けるという滅多にない機会に恵まれたとも言える。

日本に在住する在日コリアン全員が日本に全く愛着も感謝もなく、日本人を嫌いなわけがないのだが、彼のようなタイプもまた存在することも確かである。どうあっても自分達は戦争被害者で、何かしらの保障が永遠にされるべきだと主張したり、自らの父母や祖母が受けた差別的な待遇を忘れじと日本人に対する嫌悪感を拭えなかったり、ひいては北朝鮮に忠誠を誓っていたり……様々だが、とにかく日本政府や日本人に対しての恨みが根底にあるタイプだ。

“在日医師Red”を名乗る人物は、日本人全てを敵視しているわけではなく、単純に嫌韓的な人物や、自分たちの祖先の受けた事実に対し憤っている。これはまぁ、国籍を韓国におき、そして常に過去の歴史を背負いながら生きる人間という生き物である以上、必然的な心情だ。こういった思いを抱くことそのものを、責める権限などないだろう。国に対する帰属意識は、多かれ少なかれ誰にでもあるのだ。

また昨今の「嫌韓ブーム」とやらも、確かにどうかと思う。個人的に現在韓国や北朝鮮が行う教育や政治は好めないし、日本政府とも諸問題を抱える関係にある。また在日コリアンは日本で十分な待遇を受けているのに対し、さらなる権利をよこせとまくし立てる一部の団体の姿勢もいかがなものだろう。日本で育った人間として、これらの関係に歯痒さや苛立ちを覚えるのも当然の流れなのだが、それでも「嫌韓」という名の下に、頭ごなしに否定してしまっては生まれるものなど何もない。もちろん誰もが頭ごなしな否定をしているわけではないのだろうが、なんとなくそんなイメージがある。これまでの経緯がどうあれ、とりあえず、彼らが怒りを覚えているのは事実なのだし、それを消し去る有効策を考えねばならないのだ。

彼ら、恨みを抱き続ける在日コリアンはとても悲しい存在なのである。韓国との友好条約は締結されており、既に国家間の解決は済んでいるというのに、その現実を韓国国民として受け入れることができない。あくまでも、現在日本に住む自分達がが大切であるという、非常に恣意的な思考しかできない。また戦後日本は、戦争難民として彼らを受け入れ、公的な通名使用も許可し、例え朝鮮籍であろうとも特別永住権を与えている。一般的に外国人が永住権を取得することは非常に難儀なのだが、彼らにいたっては生まれた子孫に対しても自動的にその権利が与えられる。国籍が外国にある以上、ビザが必要であるのに持ち歩く必要もない。その恩恵に気づくこともできない。

なぜなら彼らは、在日韓国人あるいは朝鮮人であるという自覚は強いが、日本では外国人であるという意識が甚だ希薄なのだ。そして韓国人もしくは朝鮮人であるという自覚も微妙なところだ――本来、政治とは自国の国民を豊かにすることが第一の目的である。彼らが不遇の身となっているならば、まず日本ではなく韓国ないしは北朝鮮政府に物申すべきだし、日本へ保障を求めるのはお門違いだ。また韓国籍であるならば、義務である徴兵にも赴く必要があるだろうし、日本での生活に不満ならば本国へ帰るべきだ。世の中に「在日韓国」「在日朝鮮」という国籍など存在しない。

彼らは立場的に日本人ではないし、さりとて韓国人ないしは北朝鮮人とも言い難い。このような筋の通らないナショナリズムを育てるに至ってしまった原因として、個人的には特別永住権を与えたことが挙げられると思う。これは日本政府の責任だ。人間がどうしても逃れられない、国への価値観、帰属意識を曖昧にしてしまう。愛国心やナショナリズムを始終感じている人間もおかしいが、かといって、地球上の多くの国で生きていく以上最終的な所属先は明確にせねばならないし、自らが一体どこの人間なのか、無意識に自覚せねばならない。されど在日コリアンは、所属先は外国籍であるものの、面倒なステップを踏むことなく永住することが認められており、通名を名乗り、あたかも日本人であるかのように生活できる現状があるため――外国籍であるという自覚が薄れがちだと思う。人間として悲しい。彼らを真っ当な外国人に戻してあげることが、救いとなるのではないだろうか。彼らへの永住権は、確かに彼らがこの国で過ごしやすくなるツールかもしれないが、健康的な精神を育むものではない。

……とまぁ、自説を述べたところで、話をこのスレッドに戻そう。

“在日Red”に対する様々な意見や反論が繰り返された後、とうとう”2ちゃんねらー”たちは個人の特定に力を注ぎ始める。彼自身が「近畿地方には…」と国内の地方に言及していること、また医師であること、面長であること、公務員扱いを受けられる病院で勤務していること、そして端末、何よりも韓国籍であることを自明していることなどから割り出すと――卒業大学や、ひいては和歌山県のある病院で勤務していることが明らかにされ、ついに公立那賀病院勤務の金栄浩(きんしげひろ)であることが特定される。この流れに対し、”在日医師Red”は突如「申し訳ありません、全て冗談でした」と謝罪を繰り返すのだが。

いやはや、無記名でゆるりと楽しめるのがネット掲示板なのだけれど、面倒沙汰を起すと大変なことになるのだなと改めて驚いてしまう。”在日Red”なる人物が、自ら自分の特徴やプロフィールにまつわる発言を行っていたからこそ、ではあるが、ここまでやってしまう”2ちゃんねらー”の根性も……まぁ、なかなかのものだと言っておこう。しかし本当に医師であったとは、驚いた。ネット上の出来事を全て真実だと解釈するのは危険だが、さすがに信憑性の高い情報だと思う。このスレッドに彼(在日医師Red)の友人と名乗る者から削除要請があったことが、ますます真実味を増す。

どうしても拭いきれぬ国がらみの感情は、日本人にも韓国人にも、ひいてはイギリス人にもアルゼンチン人にも――どこの国の人間だろうと存在するし、それは心の根底にのしかかり逃れられない感情である。一つ一つを解決するのは非常に難しく、過去を背負い、そして集団を作り生きる人間である以上、ほぼ不可能だろう。ただ解決できなくとも、目の前にある現状を否定することなく受け入れ、大切にしてみることから重い感情を軽くすることができるのではないだろうか。例えば、現在就いた職務にただ忠実であることで、重く辛い感情を軽減できぬものだろうか。職務でなくとも、これまで会話し交流を持った方々や、自らの育った環境などを大切にすることで、少しでも気楽で、素敵なゆとりある気持ちを育てることはできないだろうか。目の前にある現状は、個人ができるだけ後悔や苦渋を覚えるものでない方がよいし、決して真っ向から嫌悪すべきものではないはずだ。このような気持ちを抱けなかった”在日Red”の存在はただただ悲しいし、彼のような人間を育てた責任は(もちろん彼自身にもあるのだが)日本人にも日本政府にもある。

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2006年11月21日 (火)

デスノート晩餐

映画「デスノート~the Last name~」を観た。何でも後編は原作と異なるラストを迎えているらしく、前編をテレビで観てしまった人間としては非常に気になるところだったし、公開初日から早数週間経った今ならばさすがに満席ということもなかろうと、旦那と共に映画館へ足を運んだ。

雨のせいもあってか予想以上に空いていた。あるいは、月曜日という週の始まりであったせいかもしれない。全体のおよそ三分の一程度しか席は埋まっておらず、私と旦那の両隣も空席で、とても快適だった。私達がよく利用する映画館はわりと席や列の間が広めに作られているので、多少混雑していてもそこそこリラックスできるのだけれど、さすがに隣に見知らぬ誰かがいると全く気遣わぬわけにはいかない。あまりワガママを言ってはいけないと承知しつつも、少しでも映画館では寛いでいたいし、できることなら寝転んで鑑賞できれば最高なのだけれど、まぁそうもいかない。せめて気兼ねなく足を伸ばせる幸運に授かれるよう、旦那ともども祈っていたのが通じたようだ。

というわけで、足を伸ばし椅子にだらしなくもたれかかり、なるべく身体の力を抜きながら鑑賞できた。既に原作を読んだ後なので、ついついそれと照らし合わせながら観ることになってしまうし、マンガの映画化とは大概にして原作の方が優れているので(というのは、マンガの抽象化された世界観は実写に向いていないせいなのだけれど)、ひょっとするとラストは詰まらなく感じてしまうかも……と危惧していたのだが、それは杞憂に過ぎなかった。原作を知る分の物足りなさは感じたものの、面白かった。

※コレより先、ネタバレもありますのでご注意ください。

本作は二人の若者によって正義の在り方が問われる物語である。

主人公である夜神月(やがみらいと)はデスノートを利用し、正当な罰を下すという大義名分のもと、夥しい大量の犯罪者殺人を繰り返す。彼の行動を「まさに正当な、これこそ正義だ」と支持する一般人はやがて彼を「キラ」と呼び崇め始める。これは何となく、被害者の泣き寝入りのような判決が繰り出され続ける、昨今の世相を現しているようでもある。
しかし、犯罪者の裁きや罰を下す権限とは、人間がこれまで正しくあるべき姿を追求した結晶である法律のもとに――例えそれが不当な判決を招くことになっても――行われるべきで、個人による恣意的な判断をしてはならないとする、Lなる謎の名探偵、及び警察関係者はキラを逮捕すべく捜査に心血を注ぐ。
注目すべきはどちらも自分ひとりの鬱憤を晴らすためではなく、「犯罪者なき優しい世の中」の構築を真剣に願っていることで、この点に関しては相反するものはないことだ。そのために主人公・夜神月も、Lを始めとする捜査本部の人間も心を砕いているのだ。本作の面白味は、この二つの平行線とその駆け引きにある。

ただ映画ではあまりこれらの姿が、原作ほど重厚ではなかった。また、原作ではLの後継者であるニアがキラを追い詰めるのに対し、映画ではあくまでも「キラ VS L」という図式を保っている。 その他の登場人物の役割にも違いがある。
しかし、仕方のないことかもしれない。マンガ原作では、「キラ」が全世界の秩序システムを掌握してしまいかねないほど、彼の支配とやらは長く続いたのだ。その間に起きた様々な事象を映画に詰め込むのはほぼ不可能だし、何もかも原作通りの筋書きが観客にウケるとは限らない――例えば映画「NANA」のように、原作マンガのコマを忠実に再現しようと心を砕く余り、退屈な仕上がりとなってしまった例もある。限られた時間の中で、映画らしく、原作の世界観を守りながらどれだけお客を楽しませるか、が大切なのだ――それでも、やはり醍醐味である駆け引きの緊張感を、いま少し盛り込むことができなかったのかと悔やまれるのだが。

まぁそれも、原作にふけってしまった後だからこそ感ずるものかもしれない。確かに前編映画がテレビ放映された頃は原作を手にとっていなかったのだが、あれはあれで十分に楽しめた。

むしろ原作よりも胸を打たれた展開もあった。「キラ」である主人公・夜神月の父は、キラ捜査本部に属する警察官なのだが、原作ではよもや息子がキラであるとは露知らず、死を迎える。しかし映画では息子を追い詰める、重要な役割を担うのである。自らの息子が”大量殺人鬼”であったと目前で証明されるわけだが、その際「お前の信ずる正義は正義ではないのだ」と毅然と諭す、男親らしい態度がよかった。
「キラ」なる人物をいかに解釈するか個々によって異なるだろうが、個人的には正義感は強いにせよ、未だ社会を知らぬ頭でっかちの学生の理論を振りかざす、幼児的な性質をどうしても拭えぬ存在に見える。このような存在には、社会という公の世界を生き抜いてきた、身近な人間――家庭では父親が現実を諭さねばならない。息子の過ちから目を反らさず、それは過ちなのだと怒りも悲しみも込めて諭す態度は非常に素敵だった。

そしてラスト、自らがキラであることが露見した際の、藤原竜也さんの演技。とてもよかった。自らの正義感が強いあまりに、死神とデスノートというツールに飲み込まれ、少し気が狂ってしまった雰囲気がよくにじみ出ていたし、哀れな結末を程よく惨めに演じ切れていたように思う。ここまで、気がふれてくれるのであれば、せめて三部作まで引っ張っていかに「キラ」がやり手だったのか、彼の理想としているあるいは訴えかけたい内容を、いま少し具体化したところで――ボロボロになって欲しかったとも感じた。それぐらい真に迫ったもので、今となっては前後編にまとめられてしまったことが口惜しい(それにしても、藤原竜也さんは「バトルロワイアル」シリーズなど、なんだか社会に疑問を投げかける若者の役が似合う方だ)。

しかし、このような物語が制作され、ウケているという現実はなんとなく残念である。小説など、人間の創作した物語が世を映す鏡であるとするならば、現在の世の中は”正義”の内容や、罪と罰のバランスへ人々が疑問を感じていることになる。確かに、日本の法整備はなぜか加害者に甘い感も拭えないし、人権という海外からのエッセンスが放り込まれてせいぜい一世紀経つか経たぬかといったところなので、まだまだ練られるべき余地が過分にあるだろう。長い歴史の中で私達が培ってきた倫理観と、輸入された人権意識、また現在ある犯罪とその判決状況もろもろを加味し、未来に残すべき秩序の根本たる法が望まれているのかもしれない。デスノートブームを見るにつけ、こんな風に感じるのはちょっと考えすぎなのかもしれないが。

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2006年11月18日 (土)

じゃん球、ってどうなのさ

じゃん球、というタイプの遊技機をご存知だろうか。古くから存在するマシンなので、馴染みのある方も多いかもしれない。パチンコでもスロットでも、もちろん麻雀でもないのだけれど、スロットメダルを投入し、レバーでパチンコ玉を弾いて、決められたゲーム数内に麻雀のルールにのっとったアガリ形を作れば、それに応じたメダルが払い出しされるという……三種のゲームが織り交ざったものだ。
現在、サミーがこのじゃん球の開発に精力的で今年八月には「ドリームジャンベガスZ」というじゃん球を発売し、今月上旬には型式名「自己中心派」というじゃん球を検定通過させている(おそらく、麻雀マンガ家として著名な片山まさゆき先生の代表作とのタイアップだと思われる)。

このじゃん球、千円使い切るのも難しいほど低投資で遊ぶことができる。通常メダル3枚など1秒もせぬうちに飲み込まれてしまうのに対し、現在導入されている「ドリームジャンベガスZ」は1ゲーム遊技するにあたり、3枚のメダルで11回玉を弾くことができるのだ。簡単な遊技の流れを以下に説明しておこう。

①メダルを3枚、投入口へ入れる
②左手にあるBETボタンを押すとゲームスタート。
③液晶画面に麻雀牌が並ぶのでまず一枚、アガるために不要な牌をボタンで選び捨てる
(さながらゲームセンターに設置されている麻雀ゲーム機のように、麻雀牌の並んだ数の分だけ、つまり14個のボタンが中央にある)。
④右下にある発射レバーでパチンコ玉を弾く。玉が盤面上または下にある、それぞれの入賞口に入った図柄が加わるようになっているため(麻雀っぽく言うならばツモってくる形となるため)、役作りに必要な牌を狙う。
※玉の打ち出しは基本的に11回。その間にアガることが出来ると、アガリ形に応じたメダル払い出し(3~30枚)が行われる。
麻雀のルールに準じたものであるものの、使用されている牌はピンズ、マンズ、字牌、ソーズの一九牌である。また無論、カンやポンなどは不可能であり、あくまでも所謂「面前手」を狙わねばならない。
※リーチをかけることも可能。テンパイ(あと一枚特定の牌が加わることによりアガリとなる形)時に右手にあるリーチボタンを押せばよい。つまり、リーチのみでアガることもできる。

従来、スロットである程度のメダルを一度に獲得するために打ち手が出来ることは、データチェックなどで設定を推測すること、ストック機などでは現在の回転数から期待収支を考慮すること、あるいは小役を取りこぼさぬよう目押しを徹底すること、ひいては祈ることなど、基本的に台の外側から攻めることしかできなかった。大当たりは台内部で決定されるものであるためである。
しかし、じゃん球で決定されるものはスタート時に並べられる牌と、一定のゲーム数といったルールのみで(その他強いて挙げるのであれば後述するBIG役などだが)、メダルを獲得するために打ち手が要不要を選択できる。敢えて打ち手が介入できない決定事項としては盤面の釘調整だが、こちらは「目に見える」設定であって内部のものではない。なんだかどうにも釘の具合が悪いようなら、打たぬという選択肢もあるのだ。

また、ゲーム開始時に14枚の牌が並ぶ際、液晶画面に「BIG役」「CHANCE役」が表示される。それぞれ指定された役を見事作り、アガると次回より「BIGゲーム」あるいは「CHANCEゲーム」が開始される。
BIGゲーム中は、盤面右にあるPLAYゲートに玉を打ち込むと中央アタッカーが開放され、そのアタッカーに玉が入賞すると液晶画面で好きな牌、つまり今回アガるべく必要な牌を自由に選択することができる。もう一度BIG役に指定された役を、この間は手軽に狙うことも可能だろう。
またCHANCEゲームとは――CHANCE役をアガった場合、このゲームに突入するか否か決定できるのだが、突入した場合――開始時にアガリ形の牌が配られ、自ら1枚捨て、テンパイに戻す。その後、盤面右のPLAYゲートに玉を入賞させ、中央アタッカーに5回以内に打ち込めば、BIGゲーム同様液晶画面から好きな牌を選択し再びアガることができる

BIG、と名がついていても百数十枚のメダルが一挙払い出しされるわけではないのだが、地道に継続させることによってそれなりのメダル獲得が可能なので嬉しいシステムではある。ただ、BIG役などに指定される役はとてもじゃないが11ゲーム以内にアガりづらいものだし、そもそもPLAYゲートやアタッカーに玉を打ち込むというのも、釘によっては簡単ではないので、これらは意外と難儀な「大当たり」であることに注意して頂きたい。

……と、このようなゲーム性なのだが、なんとなくでもご理解頂けただろうか。

実は最近、この「ドリームジャンベガスZ」に触れたのだが、ウワサには聞いていたもののどのように遊技するものなのか、一瞬戸惑ってしまった。先ほど「パチンコでもパチスロでも、無論麻雀でもない」と述べたが、逆にそのような機種がパチンコ屋に設置されていることに違和感を抱いた。ゲーム開始にはメダルが必要だというのに、打ち出すのはパチンコ玉、選択するのは麻雀牌と、三種のゲームが中途半端に混合していて、それでももちろん楽しめるのだけれど、いま少し一本化されたゲーム性なり雰囲気なりが欲しかったと――パチンコパチスロ、麻雀を嗜んだ人間としては感じてしまう。まぁ今となっては新タイプのゲームなので、仕方がないのかもしれないが。

また、麻雀に親しみのない方にとっては、やや困惑しかねないゲーム性である。このドリームジャンベガスZでは、液晶画面でお嬢さんがアガリに向うための牌をナビしてくれるのだが、遊技してみたところお嬢さん方がナビする牌は必ずしも11ゲーム以内という制限の中では効率的でない。むしろ、打ち手が自由に不要牌を選択できるという利点がこのゲームを支えているというのに、お嬢さん方のナビに従わねば進めないというのはその利点に若干反している気もする。

ただ、非常に低投資で遊べる。まさに遊びである。現在のパチンコパチスロは紛れもなくギャンブルだが、このじゃん球はゲームセンターでゲーム機と戯れるのと似ている。いや、ゲームそのものと言ってもいいかもしれない。例え少なかろうと金を投資するところまではギャンブルと同様だが、大当たりを成立させることによって目的とするものが金景品ではない感がある。金景品を狙おうと思えば無論狙えるのだが、どちらかというと、よしコレをアガろうとか、ココを狙おうとか、あぁハズしちゃったとか、最終的に獲得するメダルより、あるいは現在のパチンコパチスロよりも、ゲームの過程を味わえる仕様である。

こうしてみると、じゃん球とは低レート化が望まれているパチンコパチスロ業界のニーズに応えている上、打ち手が楽しみつつ、メダル獲得に今まで以上に介入し楽しめる、という利点を備えたマシンだ。もちろん現在のパチンコパチスロに馴れた私や多くのユーザーにしてみれば、やたら違和感を抱いてしまう新タイプのマシンなのだが、少なくともパチンコ店内でメダルなどを使用した低投資遊技が可能となる。店内での時間つぶしには最適である。

様々な厳しい規制が布かれ、そう遠くない未来に業界は縮小するのではないかと危ぶまれている昨今に、このようなマシンが開発されていることは必然的な流れかもしれない。個人的には今後パチンコ屋は町のゲームセンターのような存在になると考えているし、それでいいとも思うし、だからといってパチンコパチスロの所為は簡単に忘れられるものではないのでレートを変更するとか、それにそった遊びやすいマシンが開発されて欲しいという願いもあるのだが――少なくとも未来に着眼し、古きよき昔のあるいは新タイプのマシンを開発しようとする、サミーの心意気は決して負に結びつくことはないだろう。どこかからのお達しがあるのかもしれないが、行動に移しているという結果がサスガである。

ちなみに残念ながらと言うべきか、このじゃん球は現在日本全国で数店舗しか導入されていない。調べてみたところ、「有楽町DUO」「やすだ西池袋6号店」「やすだ八潮店」「ピーアーク銀座」「ピーアーク綾瀬」「P-PORTプレゴ自由が丘店」の六店である。有楽町DUO店では8月より試験的に導入されていたという。ほとんど東京の店ばかりだが、気になる方はぜひ触れてみてはいかがだろうか。これまでとは異なる逸楽にふけることができるかもしれない。

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2006年11月17日 (金)

愛国心とやらを巡って色々。

愛国心というと、ちょっと厳めしいような、古臭いような、あるいは照れ臭いような、何やら複雑な気持ちを抱いてしまう漢字三文字であるが――英語に訳すと「patriotism(パトリオティズム)」という。パトリオティズム……どこかのバンドやカフェの名前にあってもおかしくなさそうなフレーズだし(そうでもないかな)、これで少しオシャレ感が湧くのではないのだろうか、ってそんなことはどうでもいいか。

patri、パトリというのは「父の」という意味で、つまるところ愛国心とは「お父さんの育った場所を愛すこと」といったニュアンスが含まれている。お父さんの、というとお母さんは一体ドコへ行ったんだと思われる方もいるかもしれないが、まぁ古い言葉の中には昔の男性有利な社会の名残が残っていることもある。この場合「両親の育った場所」ひいては「祖先にゆかりのある場所」という解釈でよいだろう。

ただこの愛し方だが――「愛する」というのは実に個人によって様々で、例えば恋愛などが良い例となるだろうか。恋人が健やかに時を過ごせるよう尽力する愛し方もあれば、何もできなくとも恋人の幸福を祈る愛し方もある。あるいは半ば強引に自らの意思を押しつけてでも、相手を思いやろうとする不思議な愛し方もある。中には恋人を想うあまりに前後不覚に陥り、ストーキングまで発展してしまうという狂信的な愛し方もある。
実に様々で枚挙に暇がないほどだが、少なくとも自らが相手を欲し大切に、そして慕わしく想う感情が根底にあるのは間違いない。確か「愛している」という言葉を「御身大切に」と翻訳したのは武者小路実篤だったと記憶しているが、なかなか的を得た訳だと思う。元来、愛という価値観は海外製のものだが、日本語のそれにスライドすると「大切にする・したい」、あるいは「御身大切に」というのは相手の無事や幸福を祈るフレーズであるから、「健やかであることを願う」――つまり相手をいたわる気配りなのである。こうしてみると何とも思いやりのある響きだ。

つまり愛国心を、語源と日本語的な価値観を込めて解釈すると、「祖先に縁のある国を大切に思い、いたわりたいとする感情」となるのだが――漢字三文字の厳めしい字面の割に、のどかな優しい意味が込められていることがわかる(少なくともそのようであると解釈することは出来る)。この「祖先」というのも若干仰々しいのだが、例えば神武天皇であるとか聖徳太子であるとか、あるいは大岡越前であるとか、歴史的偉人ではなく、単純に両親や祖父母など、自らを育みいとおしんでくれた存在を思い浮かべる方がしっくりするだろう。まぁ、大岡越前を想起する方もそういないだろうが。

教育基本法・自民党改正案に「愛国心」が盛り込まれ、その意味するところと影響が問題視されて早三年の月日が流れているが、はてさて、一体何が問題なのやら。愛国心、とは戦前の軍国主義教育・皇国史観を呼び覚ますと野党を始め市民団体が熱心に非難しているが、言葉に含まれる意図というのは時代や政治、あるいは使用する個人によって異なるのはもはや常識であるし、前述したように「愛」という内面的な感情を行使するにあたっての行動は十人十色なのである。さらに愛国心という、個人そして地域の集合体で成り立った国家の"愛し方"など――国家の有体も、時代によって変化するのだから、愛し方もまた変化するであろう。恋愛に置き換えるなら、相手によって告白パターンを変えるのと同じである。また愛し方は十人十色であるが故に、いつの世も極右的な愛し方も存在するだろう。

"愛"という感情は実に多様な行動を生み出すのである。必ずしもコレだと規定されるものではないし、ましてや国を愛する、大切に感じる思いと軍国主義がイコールで結ばれるはずもない。愛国心というフレーズに即座に鳥肌を立てる人々こそ、愛を知らぬ感受性乏しき存在である。

そしてさらに問題とされるのが、政府が国を愛せよと、国民に半ば義務づける方針であることは民主主義的なのかという点である。なるほど、突然「愛せよ」と言われても――両親が唐突に「お前には許婚がいるのだよ」と言い出したようで、困惑してしまう心情も理解できなくもない。

ただ、ここが人間関係と異なるところで――自らが生まれた場所、また育まれた土地、そして言語ひいては生活習慣は逃れられないものなのだ。人間関係ならば相手との交友を遮断することで逃れられるが、日本で生まれ育ったこと、日本国籍であること、日本語で思考し話していること、畳の上で寝ていること、正座をすること、帰宅と同時に靴を脱ぐこと――これまで起きた現実からは誰も逃れられないのである。なぜならその現実の上に個人が立っているからただそれだけの理由であって、自らが自らとして存在するために受け入れざるを得ない運命のようなものなのだ。仮にこれらの事実を忌避したい気持ちが強く、どうしても他の文化の中で生きたいとしても、依然として在り続ける事実を肯定せねば次のステップなど踏めないだろう。愛国心とは、逃れられぬ運命を素直に受け入れるための潤滑油となるのではないだろうか。

そして当然、日本の教育は日本国家また日本人にとって、有益な人材を育成できるようなシステムであるべきである。例え他の民主主義国家であろうと、独裁国家であろうと、教育には共通した目的を持つだろう。リベラルな見地は存在するが、リベラルな組織・団体などは存在しない。志や主義思考を同じくする私的な集まりは、ある程度憲法で保障されているのであるから自由に行えばよいだろうし、あくまでも教育機関とは公的なものであり国家によって管理されているものなのである。これらも日本人として――というよりは、ある国家に属する国民として、享受せねばならない現実ではないだろうか。

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2006年11月15日 (水)

5号機ドカベン。

久々に新機種の紹介などしてみようと思う。ロデオより久々に発売される5号機・ドカベンだが、ボーナス確率などはこちらの通りだ。高校球児の汗と涙、そして笑いがパチスロで再現されるらしいのだが…はてさて、どんなものやら。

ドカベン ボーナス確率・機械割
設定 BIG REG MB 機械割
1 1/368.18 1/799.2 1/595.78 95.80%
2 1/399.61 1/799.2 1/606.81 96.10%
3 1/346.75 1/762.05 1/585.14 99.00%
4 1/339.56 1/753.29 1/579.96 102.00%
5 1/299.25 1/744.73 1/579.96 104.60%
6 1/309.13 1/682.67 1/537.18 107.00%
●BIG…赤7揃い・緑7揃い・緑7緑7赤7揃い、いずれも346枚以上の払い出しで終了(純増約300枚)
●REG…緑7緑7岩鬼図柄揃い。106枚以上の払い出しで終了
●MIDDLE BONUS…①ベル・リプ・ベル揃いは254枚の払い出しで終了②ベル・ベル・リプ…30枚の払い出しで終了
●BIG終了後50ゲーム以内のボーナス引き戻しは
ドカベン主題歌が流れる…らしい。

<小役種類>
●チェリー…15枚役
●メット…15枚役
●ベル(黄色いグローブ)…15枚役
●緑7・ボール・赤7…1枚役
●リプレイ
※小役確率の詳細は未確認

BIGは三種類あるが、獲得枚数や技術介入度に差があるのではなく(そもそもボーナス中、これといった技術介入性は本機には不要のようだ)、演出が異なるようだ。赤7揃いなら、主人公である山田太郎率いる明訓高校ナインのプロフィールがそれぞれ紹介され、緑7揃いなら不知火などライバルたちが登場する。それじゃ「緑7緑7赤7揃い」BIGだと何が起きるのか、って…申し訳ないけれど、確認していない。
ともかくボーナス中は2枚掛け遊技となり、わりとスピーディに消化できるというのも本機のウリらしい。前述したように特別な技術介入も不要で、適当押しで15枚役が揃うようになっており、私のような目押し苦手な人間も安心して打てるというわけである。

またBIG確率だが、どうやら設定6より設定5の方が恵まれた確率のようである設定6はREGやMB確率が甘く、ボーナス合成確率が1/152.41と他設定よりも優遇されているようだ。しかし、設定5のボーナス合成確率は1/156.04と大差ないようなのだが、まぁ、いいか。

また二種類のMBだが、こちらは「ドカベンチャンス」とも呼ばれるボーナスである。なんてことはない、例えば「ベル・リプ・ベル」といった出目が停止すると、液晶に何も変化はないものの小役が二~三連続で成立し、その後「ドカベンチャンス」確定画面が表示され、適当押しで15枚役が成立し続ける…といった仕組である。まぁ、これを逆手にとって「小役の二連続でドカベンチャンス突入?」のような興奮をそそるシステムとなっているらしいが…あからさまに「ベル・リプ・ベル」だの「ベル・ベル・リプ」といった出目が一度停止しているのだから、今更興奮だの、前兆にわくわくだの、感じられない気がする。
ちなみにドカベンチャンス中は、山田太郎の可愛らしい妹・サチ子ちゃんが活躍する。団員の先頭にたち、しっかり兄とそのチームを応援するシーンとなっている。

演出は実に多彩で、特に明訓ナインのキャラクターが活かされた作りとなっている。数々の名勝負が再現されるのはもちろんだが、例えば殿馬くんのピアノ演奏演出(上手に弾ければボーナス)や、山田太郎の柔道対決演出、そして岩鬼くんの告白演出など、野球とはまた違った彼らの魅力を味わえる。特に岩鬼くんの告白演出はなんとなく微笑ましい。里中さんの鼻が、もう少し小さくてもいいような気がするけれど。

まぁとにかく、原作ドカベンファンの期待を裏切らぬよう制作されているようだし、技術介入も特別必要ないし、ボーナス種類も多彩のようだし、まぁ、まぁ楽しめるのではなかろうかと思う。自分でもどうまとめたらいいものやら、わからなくなってきたので、そんなわけでごきげんよう皆様。

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2006年11月13日 (月)

考えてみればもうすぐ年末なわけで

打ちに行きたいね、なんて言いながらもデスノート全12巻を片手に引きこもり、ようやくひと段落した日々を旦那ともどものんびり過ごしていた。ひと段落、というのは、先だって亡くなった愛鳥と膵炎で体重の増えない残された愛鳥の看病に追われた、まさに「愛鳥週間」とも言うべき看病生活である。およそ三週間にも渡るこの生活、精神気力がほとほと滅入ってしまった。自分に獣医学の心得があるわけでもなく、愛鳥に対し何もできずただ傍にいるしかなかったのだけれど、常に「心配」の二文字が念頭から消えない生活というのはつくづく健康的でない。まずは家でゴロゴロ、のんびりして――これが英気を養うことに繋がるのか不明だが、とりあえず気ままな時間を満喫してゆとりを取り戻していた。

そんな最中、旦那が言った一言――「やべ。もうすぐ年末じゃん」――私もハッとなり、旦那と顔を見合わせてしまった。

パチンコ屋の三大回収期とされるゴールデンウィーク、お盆シーズン、そして年末年始。三大などと言っても、基本的にホールは日々回収しているのだからこの期間だけ区別することもないだろうが、それでも他期間よりもあからさまに厳しい営業をすることで知られている。例えばパチンコの釘調整や、スロットの平均設定など、具体的な厳しさは他店舗との兼ね合いその他諸々の状況によって左右され、例えば「確実にオール1営業」などと一概には言えないのだが――一般的に学生や就業中の方が休みとなり集客しやすいこの期間、通常時よりホールが回収しやすい状況にあるのは間違いない。ただでさえ、就業中の方はボーナスで懐が暖まっているのだ。

特に今年に至っては、えげつない営業をするホールが増える予感がする。何と言っても、来年7月よりスロットフロアは5号機メインの営業となるのだ。売り上げが通常の1/2となってしまいかねないとまで恐れられる5号機で、少なくとも今年同様の回収が出来るはずもない。それならそれで、と腹をくくるホールもあるのかもしれないが、それでも新年は笑って迎えたいだろう。5号機元年を景気よく迎えるために、根こそぎ回収なんてホールも多いのではないかなぁと、つい悲観的に考えてしまう。

まぁそれでも、パチンコなどは低投資で当てたり意味不明に爆連してしまうようなラッキーがあれば勝てるわけだし、スロットではストック機のハイエナも有効であるし、決してお客が付け入る隙のない状況ではないのだが、やはり釘が開いていたり平均設定が高めであるにこしたことはない。いまいち、打つにあたって食指が動かない年末年始である。

旦那などは毎年この時期、必ず「絶対に打ちに行くなよ。絶対だ」といつになく私に厳しい。集客のしやすいこの時期に、甘い営業をするような甘い経営方針のホールは少ないと言う。設定6がどれだけ投入されているかとか、あれこれソソられる文句を謳っていても、限りなくウソに近いと――たとえ事実でなくともこういった先入観を抱いてしまうような時期なのだそうだ。そんな折に嫁である私がむざむざ負けるのは、なんとなく、主人としては許せぬのだろうか。

何にせよ、師走は旦那が忙しい時期だし、私も正月の準備などで家事に追われる。今年は愛鳥もいることだし、ホールをうろつくまとまった時間をとりづらい時期なので、打ちに行くことはないだろう、が。

「じゃぁ年末になる前に打ちに行かなくちゃダメだね」と、私。
「そうそう…今週、アツいイベントあったかな。時期的にもそろそろ期待してもいいだろうし」
「うん、今週は絶対に打とうね」
「今週は、というよりは今月は、だね」

ようやく、ようやく本当にヤル気が湧いた。

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2006年11月11日 (土)

デスノート日和

週末には打ちに行こうか、なんて旦那と話をしていても、しばらくスロットに触れていないと「まぁ、打たなくてもいいか」…と消極的な気分になる。打ちたいね、打ちに行けばよかったかなぁ、と思ったり互いに話したりもするものの、いまいち本気になれない。考えてみれば、スロット以前に二人で飲みに行くようなゆとりも持てなかったわけだし、私などは買い物にも満足に出かけられなかったのだから、まずそういった欲求を満たしたい思いが先立ってしまう。それに、亡くなった愛鳥は、間違いなく私達がスロットに興じている間に具合が悪くなったのだから――なんとなく、残った片割れの愛鳥を思うと、もう少し打つ機会を先延ばしにしたくなってしまうのかもしれない。もう随分よくなったのだから、長時間の外出など特別気にすることもないのだけれど。

そんなわけで、昨日はとりあえず買い物でもしようかと、服や化粧品を物色してみるもののピンと来るものもなく……結局「デスノート」全12巻を買って帰宅した。映画版の前編が先日テレビ放映され、その後劇場公開となった後編もオープニング三日間で興行収入12億円強と、今年一番の大ヒットを飛ばした大人気映画の原作である。やれやれ、せっかく外出してもマンガをオトナ買いとは、すっかり家に引きこもるのが好きになってしまったようだ。

映画前編がテレビ放映され、たまたま観ることもなければ、決して原作どころか「デスノート」そのものに興味を抱くことなどなかった。"名前を書かれた人間は必ず死んでしまうノート""死神"といった単語から連想して、ちょっと不気味で乾いた高校生の日常をゲームっぽい世界観で描いたものなのだろうな、と単純な先入観を持っていて、あまり自分の好みでない娯楽のように感じていた。

しかし映画前編を観てしまうと――ううむ、いまいち現実感の湧かない設定…例えば天才と称される学生の主人公や、Lと呼ばれる世界トップレベルの探偵的指揮官(しかも若者)などなど、即時に感情移入はしづらいものの――面白かった。もともと先が気になる恋愛以外のハラハラドキドキストーリー全般は、大好きなのだ。つまり「余り馴染めそうもない設定だなぁ」とそれなりの理由をもって敬遠してみるものの、それはただの食わず嫌いで、観てしまえば面白いと大したコダワリも見せず太鼓判を押してしまうような、ポリシーのない人間なのである私は。

先が気になるものの、映画後編は何でも大賑わいで劇場も随分込んでいるという。旦那も私も人ごみは苦手ではないものの、どちらかというと映画館でも寛いでいたいので、いま少しブームが落ち着いてから劇場へ足を運びたい。というわけで、原作を手に入れたわけだ。

本作は週間少年ジャンプで連載されていたもので、原作は大場つぐみさん、漫画家は「ヒカルの碁」で知られる小畑健さん。少年ジャンプは全く手に取る機会がなかったので、これが初読となったわけだけれど、なぜ今まで読まなかったのだろうと後悔するほど面白かった。若干、ネームの量が多く、画よりもセリフでストーリーが進んでいく手法に疲れたし、いっそのこと小説にしてくれたほうが読みやすかったが――やっぱり面白かった。

あらすじに関しては、まぁ既にご存知の方も多いだろうし、あるいは未読の方にはネタバレとなってしまうので省かせて頂くが――自らの信じる正義こそが、正当なものなのであると主張する二人の若者の対峙が、スリリングにそれでいて少年マンガチックに描かれている。そして正義という価値観が示すものは、人物や世相や諸々の状況によってカタチを変えてしまう不条理なものであること、だからこそ最終的には自ら判断することが必要となるのであるという、なかなかオトナがコドモに教えづらい面倒事を上手く表現しきっており――こういった作品を子供が読むのは、良いものだなぁと感じた。

"デスノート"によって死んでいく人間は基本的に罪を犯した――殺人などによって他者を傷つけたり悲しませた人間なのだが、彼らが死んで当然な存在なのか、当然であっても罰に至るまではどのような経緯であるべきなのかを一考させられる。確かに人間がバタバタと節操なく死んでいく展開は、所謂コドモ向けではないのかもしれないが、こういった疑問を享受することはむしろコドモにとってはプラスに働くかもしれない。昨今、殺人者に対する罪と罰の天秤が果たして釣り合っているのか、オトナですら判断のつかない風潮であるのだ。

また主人公が"デスノート"を所有するきっかけとなった"死神"の存在であるが、現実にいないキャラクターのわりに一番現実的な存在だった。退屈だから、面白いから、といった理由で主人公に憑き、デスノートを使用する様を見続け、最終的に主人公が追い込まれると「もう退屈しのぎは終わりだ」とアッサリ見放す。仮にも主人公は主人公なりの正義のために懸命になっていたのだが、全く情を移さず、かといって主人公の敵に感情移入したわけでもなく、ただ、面白くなくなったからと主人公を殺すのだ。
第三者とは常に、圧倒的に他人事な判断をするものだが、曲がりなりにも人を幸せに導くのだという優しげな夢にですら「エンターテインメント」を求め、つまらなくなればポイ捨てするという一見、非情ぶり。しかしこれが――例えば痛ましい殺人事件の報道を見つめる、私を含めた一般的な聴衆の姿なのかもしれない。

先に述べたように、あまりファンタジックなストーリーは食指が動かないのだけれど、ここまでのめり込んでしまうとは思わなかった。「正義」を取り巻く世の中の様々な存在が象徴的に描かれた本作は、コドモはおろかオトナが読んだって十分に楽しめる。原作コミックスは既に完結しており、ブームで品切れの書店も多いと聞くが、機会があれば一度手にとってみては如何だろうか。

DEATH NOTE (2) Book DEATH NOTE (2)

著者:大場 つぐみ,小畑 健
販売元:集英社
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2006年11月 9日 (木)

フセイン元大統領に死刑判決

フセイン元大統領に先日死刑判決が下ったが、年内にも執行される予定らしい。物悲しいニュースで、東京裁判の歴史を持つ日本で育った一人の人間として、切なく思う。

各国メディアで勝手に「独裁者」と銘打たれ、あたかも悪の根源かのようなイメージが報道されてきたフセイン元大統領だが、その実は教育制度の整備によってイラク国民の識字率や知力を高め、女性の社会進出を奨励するなどイラク近代化に大きく貢献した人物なのである。"独裁国家"などと、アメリカを始めとする民主主義国家によって様々な批判がなされてきたが、国家にはそれぞれの事情があるのだから、必ずしも多数決で抽出された民意を実現することが良き統治方法とは限らぬだろうし、民族間の紛争やまぬイラクで何故アメリカを代表とするような民主主義政治を遂行できるのだろう。

アメリカの、他国の事情も歴史も文化も思想も尊重せず、さも自らが神の国家のように振舞うという厚顔ぶりには、心底辟易としてしまう。
侵略的行為そのものを否定するつもりもなく、それは弱肉強食という人も逃れられぬ自然の摂理を証明する一つの必要悪のようにとらえているが、アメリカのやり口というのはそれにしても品性を欠いたもののように思う。確かに戦に負け、イラクを路頭に迷わせた責任は統治者であるフセインにあるものの、彼を裁く権利はイラク国民のみにあるのである。さらに言うならば、フセイン元大統領の政治を批判し改善したいのであればその権利もイラク国民にしかないのである。一体なぜ遠く離れた、文化も宗教も、法制度も異なるアメリカの法廷でフセイン元大統領が裁かれなければならぬのか。

そして東京裁判では原子爆弾投下については触れられず、今回の裁判でも大量破壊兵器が見つからなかった事実は全く裁かれない。勝てば官軍、とは言ったものだが、法の下では何人たりとも平等であるという世の中のルールを無視した正義など、正義足りうるのだろうか。その上、ブッシュ大統領はよく「正義」という単語を演説で使用するのだから、全くお笑い種である。

フセイン元大統領が捕らえられたとき、あるいはイラクが敗戦を迎えたとき、こうなることは予測できていたものの、いざその判決が下ってみるとひどく物悲しい気持ちになった。このニュースを淡々と伝える日本のメディアにも、情けなさを再び覚えた。少なくともGHQ統治下にあった十年間で、日本人の政治意識、歴史認識あるいは死生観までもが大きく変化した。これによる数々の負の遺産もあれば、恩恵もある。ただ敗戦の歴史があって現在があり、その空気を吸いながら今の私は生きているので、少なくともアメリカに占領統治された悲しい歴史も受け入れなければならない。しかし、受け入れることと、忘れることは大きく内容が異なるのだ。現在のイラクと同じ歴史を持つ日本で育った人間が、このニュースに不感症であるなど、ブッシュ大統領よろしくお笑い種である。

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2006年11月 7日 (火)

ダイナム、27店舗を「一時休業」決定

ダイナムが総店舗数のおよそ一割にあたる、27店舗を12日までに一時休業する。全国に約290店舗を展開し、上場申請するほど勢いのあった大手チェーンが、年末にさしかかろうとする今、苦しい決定をしたようだ。

その理由は「営業不振・業績悪化」と発表されているようで、「今の状況では(経営の)即時回復が困難」ということだが、まぁなんだか、申し訳ないのだが、いまいちピンとこないのである。確かにこれだけの数を一時休業に踏み切るのはオオゴトであって、気の毒であって、また厳しい規制の効果をしみじみと感じ入ってしまうニュースではあるのだが、ようく考えてみると「約290-27=約263店舗」であって、十分じゃねーか、とお箸を投げ出したくなってしまったのは私だけだろうか。いや、投げないけれど。

確かに、大手チェーンが規模縮小を決定するとは、巨大産業として隆盛を極めた業界の衰退を匂わせる象徴的な出来事かもしれない。パチンコは実に巧妙なカタチで、スロットはあからさまに厳しい規制が敷かれているし、この十年で減少の一途を辿ったユーザー数も、少子化・団塊世代の定年退職などを理由にますます少なくなると予想されている。ダイナムの仰る「営業不振」には、間違いなくこれらの状況が絡んでいるのだろうし、ゆくゆくはさらなる規模縮小をせざるを得ない可能性もある。
そういった部分ではなんとなく他人事では済ませられないのだけれど、それにしたって約263店舗が生き残るわけで、十分どころか、まだ多いのではと感じてしまうのだ。

十分とは別に、ダイナムにとって十分という意味ではなく――現在日本にあるパチンコ店の合計はおよそ15000店舗と言われており、何処も昨今の風潮には不景気がっているようだけれど、やはりどこでもギャンブルができる国というのはいささか恥ずかしい。

曖昧な法の基にパチンコパチスロは娯楽であると言われているけれど、本来の娯楽とは金銭価値に置き換えられぬ感情を得るためのものだ。もちろんパチンコパチスロを遊技することによって、様々な喜怒哀楽を感じることはできるのだけれど、気持ちだけで満足できるのであれば5号機規制に溜息をつく必要はないはずで、遊技する方々は心のどこかで、金を賭けていることにある種の興奮を覚えているのだ。パチンコパチスロは間違いなくギャンブルであって、だからこそ楽しいし、日常茶飯事であってはならないのだ。

……そんなことをのたまう私自身も日常的にスロットを打ち、あろうことかパチンコ屋のオーナーと結婚までしているのだから、いささか説得力に欠けるだろう。私自身も、これまでも似たような話題を提起しては毎度葛藤を隠せないでいるけれど、それでもやはり、これはこれで本心である。

ギャンブルは日常とかけ離れた場所に位置づけられるべきだ。ちょっと後ろめたい雰囲気の方が丁度いいかもしれない。レート云々の問題ではなく、パチンコパチスロと一般ユーザーの間にあるハードルを上手に高めてもよいのではないだろうか。その手法として店舗削減(が結果となるような政策・規制)は歓迎するべきなのかもしれない。

……と、言いながら「5号機の機械割って夢がない」とかナンとか日頃愚痴っているわけで、やはり説得力のなさを痛感したところで、ごきげんよう皆様。

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2006年11月 6日 (月)

その後のその後の日々

度重なる通院の甲斐あってか、日々の看病がようやく報われたのか、愛鳥の具合はずいぶん良くなった。食欲もあるし、体重が僅かながら増加の傾向にある。膵炎とはいくら食べても栄養が上手く吸収できぬため、体重は増えるどころか減ってしまう病なのだが、この三日ほどで6グラムほど増えてくれた。現在、67~69グラムをいったりきたりしていて――それでも愛鳥の種では80グラムほどが健康体とされるのだが――もうすぐ70グラムに手が届こうとしている。これまで食べたものがそのまま流れ出たような糞も、きちんと消化吸収がされた一般的な糞のカタチをしているし、ガリガリだった腹の周囲も少し肉付いたような感触がある。少しずつでよいから、どうかこのまま快方へ向って欲しい。

愛鳥自身も体調のよさを感じているのか、ずいぶん活発になった。この数週間、ケージから出しても飛び回りもせず、私や旦那の肩でじっとしていたのだが、昨夜からバタバタと部屋中を飛ぶようになったし、むしろケージに入れようとすると「ピィイィ、ピー」と激しく"イヤだ"とアピールするほどだ。エサもがつがつ食べていて、ちょうどペットショップから連れて帰ってきた日を思い出す。本来ならいるべきもう一羽が、既に他界してしまっている無念はあるものの、「なんとかこの子だけは」という思いが叶ったようで私達も嬉しい。

しかし愛鳥が快方へ向った途端、なんだか気持ちが軽くなった。そういえば先立った片割れの愛鳥の病以来、日々動物病院と家の往復だったのだなぁと思い返す。目を離した途端、痙攣や嘔吐があっては…と、家でもずっと傍にいた。好きな愛鳥のためだからこそ出来ることなのだけれど、やはりちょっとした緊張状態にあったのだなぁとしみじみする。

そんなわけで、週末にでもそろそろ打ちに行こうかと旦那ともども企んでいる。きっとこれまでの運が、良い方向に噴出してくれるハズ…なのだけれど、どうなることやら。

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2006年11月 4日 (土)

その後の日々

先日、もう一羽育てている愛鳥が膵炎だと書いたけれど、経過がすこぶる悪く、私も旦那も気が滅入る日々を送っている。

膵炎というのは、膵臓に疾患がある病で、食べ物の消化・栄養吸収がスムーズでなくなる病である。おもな症状としては、栄養が吸収されておらぬため、食べても食べてもなかなか太らない。また通常小鳥の糞というものは緑がかった色をしているのだが、膵炎になってしまうと白もしくは食べたエサの色のままのものが排出されてしまう…などである。

まもなく生後三ヶ月を迎えようとする愛鳥は、成長期だというのに体重は62~64グラム(愛鳥はこの時期、80グラムあるのが理想と呼ばれる種である)と、非常に小さな体格をしている理由は、それである。現在、獣医さんによる薬を処方されている状況で、さほど悪化はしないものの一向に体重が増えないので、旦那も私も落ち着かない。

栄養がいくら吸収されておらずとも、排泄はされる。膵炎とは、ほうっておくと体重が減っていき、体力がなくなり死に至ってしまう病なのだ。今のところ体重が減ることはないので、やはり薬が効いているのだろう。ただこのまま、平均体重よりもずっと少ないままでは、他の病にかかった際にいとも簡単に落鳥する可能性が高まる。体力のない人間が、病にかかりやすい上に病に負けてしまうケースが多いのと同じだ。もとより小鳥は病にかかりやすいのだから、闘えるだけの体力は欲しいし、せめて自ら食べ吸収するという生き物として自然な力は備わって欲しい。

旦那などは一時間置きに体重を計ろうとするほどの心配振りで、「小鳥にとってはストレスだから」と私にたしなめられている。日々陽気に鳴いたり、甘えたりと天真爛漫に見える小鳥だが、意外にも臆病でストレスに弱い。大きな物音にはビックリして時にはパニックを起こすし、嫌がることを無理にさせると、食欲の減退を招いたりもしてしまう。ナイーヴなのだ。ただでさえ、通院という小鳥にとっては負担になる移動を繰り返す毎日なので、家ではひたすら物静かに、それでいて愛鳥が日ごろストレスなど溜めぬよう、遊んだり撫でたりと、とにかくどちらかが傍にいて世話をするようにしている。

片割れを失った私たちは、こと大切に残った愛鳥と時間を過ごしているわけで、体重がせめて70グラムほどになってくれればひと安心なのだが、なかなか増加してくれない。獣医さんによると「膵炎は決してすぐに命が奪われてしまうような病気ではないし、上手くつきあっていかねばならない病気だし、根気良く治療をすると完治しますよ」…ということで、えらく悲観的になる必要はないのだろうが――とにかく、心配でたまらないのである。

そんなわけで、もう長いことパチンコ屋へ打ちに行っていない。失った愛鳥の看病をしていた頃から考えると、かれこれ三週間近くになる。まぁ、長いことと言うには短い期間かもしれないが、最低でも週に一度はスロットに触れていた生活を送っていたため、「もう長いこと打っていないなぁ」と思ってしまう。買い物などで出かけるのも、ずいぶんと減ったし、外食もなくなった。ひたすら家で、なるべく愛鳥の傍で過ごすようにしている。せめてこの子だけは、無事成長して欲しいと願うばかりだ。

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2006年11月 1日 (水)

落鳥

つくづく、十月は散々だった。

何よりも愛鳥の死がただただ悲しく、愛鳥がパタリと倒れてこの世から失われてしまった瞬間を思い返しては、胸がきつく締め上げられるような痛みを覚える。生後二ヶ月にも満たぬ小さな身体で、愛鳥はその身体に巣食った病と闘っていた。じっと目をつぶり、微動だにせず、痛みに耐えていた。私も旦那も心配で、病院に連れて行っては処置を受け、交代でケージを見守り続ける、そんな日が続いた。

そんなある晩、愛鳥が眠るケージ内から穏やかでない音がする。何かが落ちたような音で胸がざわめく。慌てて保温のためにかけてある布をめくると、愛鳥が倒れもがいていた。左半身に全く力が入らないのか、左半身の羽根や足をひきずっており、まるで脳梗塞を煩った人間の後遺症のようだった。自ら起き上がることが出来ぬ状況に、愛鳥は苦しみ、その目はなんだか涙ぐんでいるような気がした。私は愛鳥を抱きしめ、旦那とともに胸がつぶれる思いで行きつけの動物病院へと車を走らせる。

危篤状態だった。保温機に入れられた愛鳥は、ぐったりと横たわり目を閉じていた。それでも心臓がドクドクと動いている様子が見て取れるので、私は何度も名前を呼んだ。呼びかけが通じたのか、愛鳥は薄目をあけ、身体に力を入れるのだが立ち上がることはできない。痛々しかった。せめて触れたいと、保温機の中に手を入れると、身体は温かく、心臓は動いているものの、全身の力が抜けていることがわかる。いつも撫でると喜んだ顔の周囲、背中、どこに触れてもグニャリとした感触が伝わってくるだけで、あたかも軟体動物のようだった。このまま逝ってしまうのかと思うと、熱い涙が溢れてきた。そのとき愛鳥がこちらを向こうと、力の入らぬ頭を動かそうともがくのを見、ますます涙が止まらなくなった。もう、いなくなってしまうのかと思った。

しかし奇跡的に回復した。あの状況下で力強く動いた心臓と、獣医さんの適切な処置が愛鳥の命を繋ぎ止めてくれたのだ。嬉しかった。その後は小康状態が続いたし、きっとこのまま快方へ向うだろうと、旦那も私も明るい気持ちを取り戻した。

ところが、再び愛鳥は危篤状態へと陥ってしまう。その二日後、動物病院から帰宅してすぐのことだった。獣医さんによる強制給餌のエサを、ケージ内に嘔吐してしまったのだが、何やら赤いシミが見える――血だ。

急ぎ病院へ向い、保温機の中へ入れられる。そのときは今回もきっと大丈夫だ、と私も旦那も思っていた。前回とは異なり自ら立ち上がることはできていたし、何よりあの状況から回復したのだ。この子は、心底生きたいという気持ちがあるのだから、きっと再び持ち直してくれると――獣医さんが「最悪の状況も覚悟してください」と沈んだ、呟くような声で言おうと――希望は捨てなかった。

旦那は仕事があるし、もう一羽家にいる愛鳥の世話もある。病院を離れ、私が残ることとなった。「きっと大丈夫だよ」なんてお互い声を掛け合い、別れた。今しばらく治療を受ければ、再び一緒に帰れる。もちろんすぐに全快はしないのだろうけれど、一ヵ月後には元気に家中を飛び回っているはずだと、本当にそう信じていたのだ。私も、旦那も。

私は治療の邪魔にならぬよう、愛鳥のいる保温機の傍にいたり、待合室で本を読んだりしていた。体内の痛みに耐える愛鳥は苦しそうであったけれど、その姿からより生きたいという強いメッセージが発せられているようで、頑張って、と心の中で何度も繰り返した。

深夜も過ぎ、朝になった頃だろうか。獣医さんが深刻な面持ちで口を開く。

「……強制給餌をしても、ブドウ糖をソノウ(胃)に注射しても、吐いてしまっています。病を抱えている身体に、全く栄養が取れていない状態ですから、もって、あと数時間かもしれません」

ウソだ、と思ったし、それでもやっぱりあの危篤状態から脱するほどの強い力があったのだから、きっと持ち直すだろうと信じていた――信じたかったのか、信じようと自らに課したのか、よくわからないが、信じるしか他にないことはわかっていた。

こんなとき私は何も言えなくなることもわかった。自分がマネキン人形のように、表情や思考が固まっていくのだ。ただ、「もって数時間」という言葉が、頭の中で鈍くこだましているだけで、「もって数時間」という意味や重みを感じ取ることができずにいた。そういえば私は祖父の死しか経験していない。それも最期を看取ったわけでもないし、いよいよ祖父が重篤だという際に病院に詰めていたわけでもなかった。医者に覚悟を無心される経験など、まるで皆無なのだ。

押し黙り動けずにいる私を前に、獣医さんは口をつぐみ、うつむいていた。さながら私の沈黙に、じっと付き合ってくれるような佇まいで、優しい方なのだなと思った。そして、獣医さんは科学もしくは医学的な見地で常に判断されていることも、思い出した。

……旦那に電話しよう。

旦那へ連絡した後、私はずっと愛鳥の傍にいた。嘔吐が続いたため、きれいな羽根がすっかり汚れてしまっている。痛かっただろうね、と思った瞬間に涙がこぼれそうになったが、こらえた。心を砕いてくれた獣医さんに失礼な気がしたし、未だに痛みをこらえ病と闘う愛鳥の前で、これ以上の涙は不吉な気がした。

愛鳥に呼びかけると、薄目を開けてこちらを振り返る。傍によろうと、保温機の中でヨタヨタと歩き出す姿が尚いとおしかった。時折、保温機に手を通し身体に触れるとやはり温かく、可愛くてたまらなくなった。本当にこの子は甘えん坊な小鳥で、よく懐いてくれた。元気な頃は私がケージから離れるだけでビィビィ鳴いた。仕方がないので肩に乗せると、私の頬にピッタリ身体を寄せ、ピタリと鳴きやむのだ。その時のケロリとした様子はとても愛嬌があったし、頬に伝わる柔らかい羽根の感触や温かみは心地よかった。エサの食べ方は行儀が悪くそこら中に撒き散らすし、飛び始めるとなかなか捕まらないし、甘ったれだけれど元気で暴れん坊な子だったのに。

涙をこらえながら見つめていると、なんとなく、愛鳥の様子がおかしいことに気づいた。身体の力が抜け始め、足がぐらつき出す。以前と同じような……獣医さんに声をかけると同時に、「これは本当のことなのか」という目前のものに対する疑念が芽生え、脳内が赤く染まってしまったかのようなショックを覚えた。とにかく愛鳥の名前を何度も呼んだ。愛鳥の頭がグラリと下がり始める。獣医さんが保温機を開ける。私はひたすら名前を呼んで、あぁ何もできないのだと、無力なのだと、愛鳥からまさに命が流れ出そうとするとき、自分を責めた。

動かなくなってしまった愛鳥を抱きしめ、周囲を省みず声を挙げて泣いた。獣医さんだって力を尽くしてくれたのにとか、旦那は看取れなかったのにとか、あれこれ思って涙を止めようとしたけれど無理だった。愛鳥は薄目を開けたままで、最期まで生きたかったのだろうと思うと、やりきれなさに苦しくなり、涙は止まらない。もう会えない。

その後、獣医さんが嘔吐物で汚れた身体を綺麗に拭いてくれた。抱き取ってみると、やわらかい羽根の感触が戻っていて、このまま動いてくれないかな、とその時ですら私は祈っていた。どこかでまだ、動くんじゃないか、眠っているだけなんじゃないか、と考えてしまい、未だそれを現実のものとして受け入れることができていなかったのだ。それはとても情けないことだし、愛鳥に対しても申し訳ないのだけれど、どうしても捨てられない気持ちだった。

病院を後にする際、獣医さんが私の手をとってくれた。包み込むように優しく握ってくれたあと「おねえさん、ごめんなさい」と、震える声で頭を垂れていた。形振り構わず泣いてしまってこちらこそごめんなさい、とか、ありがとうございました、とか、一体何を言ったらよいのか一瞬混乱すると、また涙が溢れた。愛鳥の亡骸を抱きしめ、とにかく頭を下げた。そのときようやく、ありがとうございますと言葉が漏れて、しみじみと獣医さんの献身的な治療に感謝した。

最期を看取れなかった旦那はより事態が飲み込めず、やはり愛鳥が亡くなったなどと信じられぬようだった。しばらく家でお互いに放心した後、神社の境内に埋め、スミレの花を植えた。そして再び家で放心した。ベッドに寝転び、ぼんやりと天井を見つめたり、「本当に死んじゃったのかなぁ」と互いに聞きあったりしていた。埋葬した後でさえ、もう会えないのだという実感が湧かないのだ。きっと今頃病院で給餌を受けているだろうとか、夜にはまた会えるとか――むしろ、愛鳥が生きていると思い込みたかったのかもしれない。

あれからおよそ一週間が経った。残ったもう一羽の愛鳥も、膵炎という病が発覚し通院している。旦那も私も、この子ももしや、と不安を拭いきれぬ日々を送っているけれど、すこぶる元気な態度が気持ちを明るくしてくれる。元来この子も甘えん坊だったので、私がケージを離れれば「ビィビィ」と鳴き、ちょっと外出するだけで騒ぎ出す。帰宅すれば再び鳴きだし、肩に止まらせれば落ち着いて身を寄せてくる。とても可愛らしく、無邪気に甘えてくる姿はとてもいとおしい。せめてこの子の病が完治するよう、間違っても重篤な状況に陥らぬようにと、無事を祈る毎日だ。もう二度と、あのようなやりきれなさ、痛みは味わいたくない。

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