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2007年4月21日 (土)

頭痛と青ドン。

昨日からひどい頭痛に悩まされていて、文字通り頭を抱え込んでいる。熱もなければ、スムーズに鼻で呼吸もできるし、喉もひりついていないので、風邪ではないと思うのだけれど、あぁ全くズキズキズキズキと…意地悪な誰かに頭のホネをグリグリ押されているような痛みで参ってしまう。ここのところ体調も崩していたし、これ以上不調が続くようであればいい加減病院に行くべきなのかもしれない。面倒だ。

体調が悪いと不思議なもので、精神的な余裕もなくなる。まぁ、もともと心の広い殊勝な性格をしているわけではないから、より短気になってしまうわけで――短気、といっても他人様の前でブチ切れたり喧嘩をふっかけるような勇気はないのだけれど、内心プチプチとそれはそれは沢山の苛立ちを覚えてしまっているわけで――みっともないことには変わりはない。もっと鍛錬された精神をお持ちの方なら、他人様が何をしようと言おうと、きっと大らかな気持ちで受け止めることができるだろう。でも、私はムリだ。喜怒哀楽の「怒」を感じぬよう、ソコに対してのみ無感覚でいられるような、気持ちのコントロールは未だ習得できずにいる。情けないし、そんな自分に嫌悪感を抱いては悶々としてみるけれども、今のところどうしようもなくて参ってしまう。

私は、例えば「幸せ」だとか「楽しさ」や「喜び」、あるいは「悲しみ」といった、人間の内面的な感情を表す言葉を断定的に使用する人々が嫌いだ。これらの言葉に吹き込まれる内容は十人十色、個々によって異なるだろうし、だからこそ繊細な姿勢で使用されるべきだと思う。幸福も悲哀も人の内側で決定されるもので、決して正解があるわけではない。幸せや悲しみとイコールで結ばれるべき内容に、あるべき姿なんてものは、特にないのだ。

例えば「幸せって何」とか「どうしたら幸せになれるのだろう」と、漠然とした質問が在ったとする。この質問者を励ますことができても、一体どこの誰がその答えを出してやれるというのだろう。幸せというのは実に恣意的な単語であって、そこに吹き込まれる意味は個人にしか決定できない。一体どこの誰が「コレが幸せなのだ」と提示できるというのだろう。答えは質問者自身にしか導き出せないのだ。第三者が「コレが幸せなのだ」と堂々と自らの価値観を述べるのは一つの例を挙げるという意味で一種の親切ではあるが、それを正解として教えるのは、安っぽい正義感でしかない。

さらに言うなれば、質問者自身もそれらを踏まえた上で、質問を発するべきなのだ。「幸せって何」というのは質問者自身にしか知りえないことで、第三者としては「それは貴方の中にある」としか答えようがない。それ以上の答えを他人に求めるのは、甘えであるし、周囲にとっては酷な話だ。自分が「幸せ」を覚える軸が分からなくなってしまったというのであれば、せめてもっと状況を説明するとか、噛み砕いてから周囲に助けを求めるべきではないだろうか。「どうしたら幸せになれるのだろう」というのも、まず質問者自身の幸せとは何なのか、多少なりとも具体化してくれなければ、第三者として助言はしづらい。

家族や友人といった、細やかな説明が不要な親しい間柄――「わかりあえる」という安心感を覚えられる関係であればまだしも、そうでない場合――周囲の一人一人が一体どんなニュアンスで内面を指す言葉を使用するのか不明な場合、丁寧な姿勢で臨むべきではないだろうか。主語と述語を鮮明にし、比喩表現などを利用し状況を説明する努力をどうか、他人であれば忘れないで欲しいと願ってしまう。

――なんていうのも、私自身の安っぽい正義感なのだけれど、私なりにそのように考えているので、配慮できる限り他人様の喜怒哀楽の定義を尊重したいと思っている。いつもできることではないけれど、なるべくそうあれるよう、心がけるわけで。

そんなわけで、アルゼから「青ドン」6月10日に発売されるようだけれど、本当にどうでもいい。旦那が「ブログのネタにしなよ」といつものように機種説明が書かれた紙を持ってきてくれたのだけれど、申し訳ないことにテンションが上がらない。

Aodon だってどうよ、この筐体…古きよき名機たちに決して詳しいわけではないけれど、確かハナビシリーズといえば、秀逸なリール制御が大きな魅力の一つなのだと聞いている。それなのに、リールはこんな扱いでいいのだろうか。ドンちゃん、笑顔の下で本当は泣いているんじゃないだろうか。

ちなみに設定は4段階となっている。

設定1…BIG1/368・REG1/936、合成1/264

設定4…BIG1/338・REG1/886、合成1/245

設定6…BIG1/306・REG1/840、合成1/224

設定H(ハイ)…合成確率1/204、機械割115%以上

設定H、というのは「6」を超えた最高設定というわけで、各ボーナスの詳細確率は不明ではあるけれども機械割は115パーセントを超えるらしい。どうしても「6」の機械割を抑えたかったアルゼは、新しい最高設定を制作してしまったわけだ。なんなんだ、この手間。素直に「6」でよかったんじゃなかろうか。まぁいいか。

●天井救済RT機能搭載…BIG後1200ゲーム、REG後800ゲーム。1ゲームあたりのRT純増枚数は0.3枚。

●BIG獲得枚数…純増はおよそ351~362枚。BIG中の予告音発生時、逆押し(右・中に氷停止)+左リール下段に3連ドンちゃんビタ押し…といったことを二回行うと、362枚獲得できる。

●REG獲得枚数…104枚

●重複フラグ…チェリー(期待度2パーセント程度)、氷(斜め揃いは1/2でボーナス同時当選の期待度)

まぁ、こんな具合で、演出も随分キレイにまとまっているようだけれど、写真を処理するのが面倒なのでこの辺で。どちらかと言えば、今後発売される「赤ドン」の方が機械割も高いというウワサなのだけれど、どうなのだろう。まぁ何でもいいか。

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2007年4月16日 (月)

妹の就活を聞いて思ったどうでもいい話

二十三歳の女性に「私、結構トシ、いってるんですよ」とニッコリ笑顔で言われてから、やる気のない日々を送っているわけで…って、そりゃもちろん本当はどうだっていいのだけれど。

実は私には大学生の妹がいて、彼女も東京で暮らしている。とはいえ、ウチとは随分離れた地域で暮らしているし、彼女は私と違ってパチンコどころか麻雀牌さえ握ったことのない、それはそれは真面目な性分なので、一緒に遊びに行くこともこれといってなかった。別にパチンコも麻雀もしなくたって会えるじゃない、と思われた方――どうか同情してくだされ。四年前、彼女の上京が決まった頃、「じゃあ東京で一緒に遊ぼうか」とお誘いのメールを入れたら、「お姉ちゃんと一緒にいたらお金ばっかり使うハメになるから絶対にイヤだ」と、きっぱり断られたわけで――"絶対にイヤ"ですよ、"絶対に"……しかも、なんだかアレですな、断り文句というのを字面でマジマジ読んでみると、なんだか物悲しくなるもので……トホホ、だ。一度、高校生だった彼女が東京に遊びに来たとき、「今日は高松宮記念だから」と新宿のウィンズへ連れて行ったのが大きく影響しているようで、あぁ悲しい。競馬新聞の見方から馬券の買い方まで懇切丁寧に教えてあげたというのに、はぁ…、溜息だ。

そんなわけで、妹とは同じ東京にいるというのに、大して連絡を取らない四年間が続いた。新年や誕生日に「おめでとう」メールが届くぐらいで、彼女の具体的な近況を直接聞く機会はなかったし、まれに実家の両親から「大学楽しいみたいよ」とか「元気みたいよ」といった漠然とした様子を耳にするぐらいだった。

まぁ、そんなものかもしれない。私には新しい家庭があるわけで、しかも嫁という立場なわけで、生真面目な妹はその辺を気遣ってくれているかもしれない――なんて楽観的ではあるけれど、そんな理由も考えられるし、私と彼女が都合を合わせて実家に帰省することも、お互いに仕事を持たない主婦あるいは学生という立場ではあるものの、意外と難しい。だからまぁ、ちょいと寂しいけれども仕方がない。

しかし、つい先日、彼女が就職活動に励んでいると聞いた。

先週、私は実家に帰省したのだけれどその時、たまたま彼女から家に電話が入ったのだ。

「あ、お姉ちゃん? 久しぶり。最近、就職活動してるんだ、私」

「あらそう。そういや、そんな年だね」

溌剌とした声を聞いて、ひょっとしたらいい報告なのかもしれないなと私は思った。

「うん、まだ内定は出ていないんだけど、ムズかしそうな会社の書類審査が通ったの、すごく嬉しい。私、大した大学行ってるわけじゃないのに」

「相当ヌルい会社受けてるんじゃないの?」

「そんなことないよ、銀行とか、生命保険会社だもん」

「銀行とか生命保険会社の内定とるのって、ムズかしいの?」

私が就職希望した業界とは全く異なるので、よくわからないのだ。

「…ムズかしいもんだよ。お姉ちゃんは氷河期世代のくせに、何もわかっていないんだね。もういいや、私が銀行に入ったらソコの口座作ってね。生命保険会社に入ったら、加入してね。それじゃ」

ガチャ。

……。

まぁ、そんなもんか。

しかし、何でも2007年問題を抱える企業が多いため、求人そのものも多いのだそうで、少なくとも就職氷河期と謳われた数年前よりは、学生は内定を貰いやすいのだそうだ。いいなぁ――といっても、当時マトモに就職活動しなかった私が今新卒扱いの学生であるからといって、熱心に活動するハズもないのだけれど、就職活動という言葉に対して少しでも明るいイメージが持てる、妹にというか、昨今というか――が何となく、羨ましい。私が学生の頃なんて、真っ暗で何の期待もない重い扉を懸命にコジあけなくてはならないような、骨の折れる作業に思えた。自殺者だって出たぐらいで、妹の明るい声を聞くと「あの頃って一体何だったんだろうな」と感じる。とはいえ、今の世代の学生たちが全く苦労せずにいられる筈もなく、やはり彼らにとって重い扉はいくつも存在しているのだろうから、きっと大変なのだろうけれど。

まぁ、なるようになるさ、って何のオチもないところで、それではまた皆様。

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2007年4月12日 (木)

ディスクアップ・オルタナティブ…はあまり関係ない

ここのところ、私、何をしていたんだろう…。特に忙しいわけでもなかったのだけれど、すっかりブログを放置してしまった。

そうそう、何日か前に、一人の女性と話す機会があった。初対面だ。ひょんなことで話すきっかけに恵まれたのだけれど、とても落ち着いた雰囲気の漂う、黒いスーツに長めのコートが似合うようなオトナっぽい方だった。暗めの茶髪は背中の半分ぐらいまで伸びていて、緩やかなパーマがかかっているところがまた、絵に描いたようなキレイなお姉さん。それでも話し振りはとても明るくって、気さくで、しょうもない冗談にはケラケラ笑う様子がちょっと子供っぽくて可愛かった。

んで。

「そういえば、その、年はいくつなんですか? 同年代なんでしょうけど」

…と、私は聞いた。語尾にデスマスをつけているのは、初対面だし、失礼なのか何なのかよくわからないけれども雰囲気を見る限り、私よりやや年上なのかなと思っていたのだ。もうすぐ三十にさしかかるぐらいかな、と。

すると彼女は照れたように笑う。

「ええ、実は、結構トシ、いっちゃってるんですけど…」

「え、そうなんですか?」

「実は、その…23才です」




ぷちーん…。(←何かがキレた音)




マイブームは若作りとなってきた二十代後半の、あと二年ぐらいで三十を迎えるっていう、節目がそろそろ近づいてきて子供どうしようとかアレコレ考えているオンナに向って、ナンですかアナタ。

はぁ。

まぁいいや。

いいんだ。

とりあえず、ディスクアップ・オルタナティブの筐体画像。とても評判がよろしいようで、こりゃー売れますな、きっと。

DiscDiscreel_2
肩こりがひどいので、今日はこの辺で。

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2007年4月 6日 (金)

パチスロ「うる星やつら」

Uruhairetsu パチスロ「リングにかけろ」が好評なメーカー・銀座から、またまた懐かしアニメマシンが発売される。ゴールデンウィークの喧騒から一週間後の5月13日、「うる星やつら」が登場するのだ。

左の画像がそのリール配列だ。ラムちゃん図柄はもちろんボーナス図柄で…というわけで、とりあえずボーナス種類から説明しよう。

●ハイパーBIG・ノーマルBIG・REGの三種類

①ハイパーBIG…赤7、青7、ラムちゃん図柄揃い。純増枚数は約448枚と5号機の中では格段に多く、嬉しい。またハイパーBIG中は、レア動画が流れるらしいが…ラムちゃんのヌードとかではないので、過度の期待は禁物だ。

②ノーマルBIG…「赤7赤7青7」「赤7赤7ラムちゃん」「青7青7ラムちゃん」。純増枚数はおよそ351枚。ハイパーのそれよりも百枚ほど少ないが、ワンBIG350枚って、ジャグラーのリプレイハズシ失敗+ブドウなし…ぐらいの枚数で…だから何だ。まぁ、割と多めだ。ちなみにこの間、ミニゲームがあるが、高得点を叩き出しても出玉展開に関わりはない。

③REG…「赤7ラムちゃん赤7」「青7赤7青7」「ラムちゃん青7ラムちゃん」。図柄の並びがスロット打ちとしては微妙に気持ち悪い。でもラムちゃんだから許そう。純増枚数108枚

●それぞれのボーナス比率(全設定共通)

ハイパーBIG:ノーマルBIG:REG=1:4:4

どうなのだろう、この比率。ノーマルBIGの獲得枚数が他機種よりもやや多めであることだし、いいような気もする。

●RTシステム搭載の有無RTは一切存在しない、のだが。

●チャンス目もしくは1枚役から突入する、激アツ「ガールハントタイム」

1枚役を取りこぼすと、「リプレイ・リプレイ・チェリー」のチャンス目が停止するので、正確には「1枚役から突入するガールハントタイム」である。1枚役は重複フラグとなっており、ボーナス同時当選率は約50パーセント。つまり、ガールハントタイムのボーナス当選期待度、という言い方をしてみても、50パーセントである。

女性には目がない諸星あたるくんが、文字通り女の子を追い掛け回す演出で、平均10ゲーム継続するらしい。この間、リプレイなどの小役が揃いやすい状態となっているのかは、未確認だが――RTは一切搭載していないという情報もあるし、よくわからん…とにかく、典型的な軟弱ダメ男に見える諸星くんだが、実は私こういう方が大好きだったりする。女性がウギャーと怒ったり説教したり、カミナリでもって暴力を振るうことを許せる男性って、いえいえ本当にスゴいことですよ。懐深いなぁ…なんてことを言っているけれど、単純に私も説教したり、カミナリはムリだけれど殴る蹴るをしたいだけだったりもして…なんだそりゃ…。

まぁ、その、さておき、気になるボーナス確率と機械割だが、ボーナス確率は今のところ合成確率しかわからない。いやその、比率は分かっているので、計算することは可能なのだろうけれども…すこぶる数字に弱いので、どうかお許しを。皆様、頑張って計算して下さい。

<パチスロ・うる星やつら ボーナス合成確率&機械割>

  • 設定1…1/290 96%
  • 設定2…1/274 98%
  • 設定3…1/258 100%
  • 設定4…1/247 102%
  • 設定5…1/229 105%
  • 設定6…1/217 108%

さて、どんなものだろう。ボーナス獲得枚数が他機種よりも比較的多く、RT非搭載マシンといえば、先日発表された大都技研「シェイク」が脳裏に浮かぶが、それよりも高設定の機械割はやや落ちてしまう(シェイク・設定6の機械割は110パーセントである)。しかしシェイクよりボーナス種類が多く、REG一つとっても獲得枚数は多い。2パーセントの差って、どんなものか微妙なところではあるし、コイン持ちも悪くはなさそうだし…

まぁ、どっちもどっちだ。「リングにかけろ」の評判がよろしいのと、今尚大ヒットを飛ばし続ける高橋留美子の代表作とのタイアップ、そしてやや大量獲得なボーナス…ということで期待されているようだけれど、一つ一つのボーナス確率を算出してみると差ほど甘くはないだろう(たぶん。計算苦手で…あくまでも、憶測なのだが)。甘いことが当然であってはギャンブルとしての魅力に欠けてしまうので構わないのだが、せめて高設定域はそれなりの出玉感が味わえる仕様であって欲しい。

初当たり確率が微妙な機種、それでいてRT非搭載となれば、打ち手のヒマを潰した上でソソらせる、演出に力を入れねばならない。基本的に5号機には一切の演出は不要、と私は考えているのだけれど、それでも液晶を搭載したマシンなのだから、手抜きはいけない。しかも液晶搭載の5号機で、手抜き演出が頻発すると、なぜかその機種がみすぼらしく見えてしまうのだ。

まぁ、カタログを見たところ、その辺りはモウマンタイ(無問題)のようだが、実際に打ったわけではないのでテンポが分からない。だからまぁ、ここでは必要以上に期待しないでおこう。

そうだ、ちなみに――パチンコ同様、残念ながらボーナス中であれ何時であれ、あの「あんまりソワソワしないで~♪」のメロディーは本機でも流れない。アニメ版権、あるいはこの歌い手がパチンコパチスロ嫌いというウワサがあるのだけれど、まぁそれはともかく、基本的に高橋留美子"原作"の版権でもって制作されているので、我慢いたしましょう。それに高橋留美子さんって、パチンコ好きなイメージがある。ただのイメージなのだけれど、彼女の漫画にはパチンコ屋のシーンがチラホラと描かれているから…まぁ、どうでもいいか。

   

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朝鮮籍の人間は拉致被害者だけど「拉致被害者」ではない

なんでも、新たな拉致被害者が浮上したそうで――1973年に失踪した当時32歳の女性、そして子供二人が北朝鮮に拉致された可能性が高いらしい。女性の夫は在日朝鮮人で、北朝鮮の工作員だったそうだ。工作員とわかった上での婚姻だったのか、あるいは夫婦生活を営んでいる間に工作員であることが判明したのか、その真相は藪の中なのだが、女性の姉妹によると、彼女は婚姻後「夫は北朝鮮の工作員なのだ」と姉妹に語ったという。

夫であった男性の名は、高大基。品川区五反田の、現TOCビルにあった「ユニバーストレーディング」という会社に勤めていた。この会社は総連の幹部によって設立された貿易会社で、その内実はスパイ工作であった。朝鮮籍の在日コリアン、また彼らを家族に持つ日本人が勤務しており、北朝鮮に渡航してスパイ教育を受けるなど――なかなかの隠れ蓑会社である。ちなみに、1978年に活動が停止しており、既に現存しない会社のようだ。TOCビルで勤める皆様、ご安心を。

彼女はこの夫と幼い子供二人、また夫の弟を名乗る男性と五人で暮らしていた。この男性は特に定職に就いているような素振りはなく、日々ラジオに聞き入っていたそうだが、果たしてラジオ番組の内容は如何なものであったか、それは分からない。彼女の姉妹によると、「ひょっとすると夫と同じ工作員なのかもしれない」と、彼女は漏らしていたそうだ。このような話し振りから察するに、彼女は夫とその男性に何かしらの疑問を抱いていたことには間違いないだろうが、しかしそれでも一緒に暮らしていた理由が見えてこない。果たしてどのような暮らしぶりだったのか。朗らかな団欒があったのか。それとも、暴力めいた恐怖があったのか、不明である。ただ彼女の姉妹は、彼女や子供たちが生活に恐怖を覚えていたような証言を今のところしていないようだ。親族ですらこのような姿勢なのだから、第三者には「ごく普通の家族」として見えたかもしれない。

そんな中、夫とこの男性が失踪し、女性も旦那を探すと言って家を出て――行方不明となる。二人の子供たちも消えてしまう。これが、1973年のことだ。

そして2003年、拉致許すまじの風潮が高まる中、女性の親族らはこの女性は工作員によって殺害され、二人の子供は北朝鮮へ拉致されたとして、殺人及び国外移送目的拐取の容疑で警視庁に告訴状を提出する。女性たちが失踪して30年、告訴状の提出がこれほど遅れたことについては――「やっぱり、旦那さんが朝鮮籍だったからね…引け目みたいなものが…」と、彼女の姉妹がインタビューに答えていた。

引け目。確かに、感じてしまうのは当然である。彼女が婚前に夫となる男性が工作員であったか知らなかった可能性もあれば、理解した上で婚姻に至った可能性もまたあるのだ。そして子供たち二人は朝鮮籍であったし、現在も北朝鮮にいるのであれば、たとえ工作員であったにせよ実の父親と暮らしているかもしれない。わかっていて結婚した、一種の自業自得であったかもしれない彼女。そして実の父親から引き離すことによって、プラスに働く何かがあるのかという疑問。あらゆる事情が、彼女の親族らにとっては引け目となってしまうだろう。

しかし、近年になって北朝鮮の貧窮ぶりが甚だしく報道されるようになった。地上の楽園と謳われた国家の実態がブラウン管に映し出され、血の繋がった孫あるいは甥たちへの心配が隠せなくなったかもしれないし、あの時、一体何があったのか――何者によって、何のために彼女は殺害され、子供たちは消えたのか、そして現状は如何なものなのか、とにかく確認したい気持ちが募ったのかもしれない。どれだけ引け目があっても、漠然と謎めいた雰囲気の中、彼女や子供たちが消えてしまったことへの苦衷を昇華させたいという願いは打ち消せなかったのだろう。

親族たちは、親族なのだから、彼女たちを案ずるのは当然であるし、堂々と国に助けを求めることを誰が責められるだろう。引け目なんて覚えなくてもいいのだ。邪な事情なしに、ただ彼女たちを想っているのなら、朝鮮籍の夫を持ったことも子供たちが朝鮮籍であることも関係ない。それに、たとえ夫や子供が朝鮮籍であったからといって、個人の生活が組織であれ人であれ、第三者によって暴力的に曲げられることは許されない。親族たちが納得できる状況を作り出すべく、捜査なり外交なり、日本政府にはこの問題を諦めて欲しくないと切に祈る。それは親族に対する同情からよりも、拉致という行為に対する私自身の恐怖や、そのような目に遭ってしまった国民を、外交の窓口となる政府が決して見捨てて欲しくないと願っているからだ。

それでも、拉致された朝鮮籍の子供二人を、現行の拉致被害者支援法の下に「拉致被害者」とすんなり認めてはならない。朝鮮籍だからだ。

法の下に拉致被害者と認定されるのは今のところ「日本国民」と決定付けられており、朝鮮籍どころか他国籍の人間は、「拉致をされた被害者」であっても、「法の下の拉致被害者」と認定されない。それが現行法である。法は遵守されるべき国民の「前提」であるが故に、決して情を交えてはならない。情は個々それぞれに宿っているものであるから、そんな情などを万人のための「法」に加えてしまえば、法としての存在意義は大きく失われる。さらに日本で生まれ、日本で施行され、そして日本国籍有する人々のための法であるのに、なぜ他国籍の人間までフォローしなければならないのだろうか。

かといってもちろん――前述したように、国籍を問わずどこの誰であろうと、第三者に自らの生活を暴力的に曲げられることは、決して許されるべきことではない。そして今回の場合、血の繋がった親族が日本人であるのだから、確かに何かしらの援護はするべきなのだが、だからといって「朝鮮籍でも拉致をされたのなら法の下の『拉致被害者』である」とするのは、おカドが違う。国籍を問わず拉致をされたという事情で、日本政府支援するところの拉致被害者となってしまうなんて、北朝鮮拉致顔負けの乱暴な論理である。

私は国籍に対する、ナァナァな姿勢は大嫌いだ。国籍とは個人の帰属先の一つで、その国に対し個人は、そして個人に対してその国は、何かしらの責任を負わねばならない。その責任の一つが、国内で施行されている憲法を始めとする法である。国は法を制定し、国民は遵守せねばならない。むろん、日本で生活する人々誰もが悲しむことのないような、常識などの一般化された精神を出来る限り盛り込むべきなのだが、それでもまずは、その国籍有する国民のための法である。酷な話ではあるが、拉致された子供たちは朝鮮籍で、朝鮮籍とは実質的に北朝鮮籍であることを表す以上、彼らに対して責任を負うのは他ならぬ北朝鮮国家にある――とも言える。

しかし、血族が日本にもいるわけで、今後もこういったケースは少なからず出現するだろう。日本人の親族に対するフォローは当然のことながら必要で、そういった際に法的にはどのような位置づけになるのか、決定するべきではある。

例えば親族が日本人であるならといった前提であるとか、新たに在日外国人拉致被害者というカテゴリを作成し個別の対策を練るとか――大雑把な例えを挙げてしまったが、実際には細やかな条件が付け加えられるべきだろう。日本で発生した拉致事件であるからといって、何もかもを日本政府バックアップの拉致被害者としてしまうのは、日本人拉致被害者が報われないところでもあるし、危険だ。

そう、例えば、妄想だけれど――「朝鮮籍でも拉致被害者として認める」なんてことが現実になれば、北朝鮮が崩壊した際、「自分は拉致被害者だ」と名乗りをあげる北朝鮮国民で日本は溢れかえるかもしれない。そしてそのような人物は日本に在住していなかった、と政府が対応したら、「捏造だ」と被害者を装い、「あのとき日本政府は守ってくれなかった」と高額な慰謝料を欲し、日本人の同情を誘っていつの間にか日本に在住し続ける、なんて、彼らならきっとやってのけるだろうと私は思わず考えてしまうのであって――いえいえ、ここまで妄想してしまう自分はきっとオカシイしアホなのだろう。むしろ、自分がアホであることを祈って、それではごきげんよう皆様。

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2007年4月 1日 (日)

ここ何日かのこと。

ここ何日か、ずっと頭と肩と背中と左胸、つまり心臓の近くがずっとズキズキ痛んで身動きがとれなかった。歩いているとき寝転んでいるとき、包丁を握っているとき雑誌をめくっているとき、いつもいつも後頭部に重い鉛がのしかかっているような気だるさと、左半身の痛みがとれない。振り返ったり首を傾げたりなどの何気ない動作もままならないどころか、ちょっと手を動かすだけで左半身に激痛が走る。本当に困ってしまったし、いよいよこれは病院で検査を受けねばならないと覚悟を決めていた。

月末で旦那も忙しそうにしているので、病院へ行くのは来週。それまで、いつも愛用していたフェルビナク入りの湿布を首を包み込むようにぐるりと、それから両肩や背中、左胸にベタベタと貼って、痛みをごまかしていた。そのとき私は自分にどんな不調が起きているのか、怖くて大した予想もできなかったのだけれど、後頭部と心臓周辺が痛いことから、漠然と何か重い病気なのではないかと考えていた。

あぁ、いやだなぁ。

死に至るほどの酷い病が、一体どれほど遺伝するものなのかあまりよくわかっていないのだけれど、実家の親戚一同は基本的に脳梗塞や脳溢血といった――プチン、と一瞬で逝ってしまうような病に命を奪われている。癌にかかった人間は父方の祖母しかいないし、それもかれこれ十五年ほど前の話で、現在は完治して(と言ってもいいだろう)のびのびと暮らしている。糖尿病の人間にいたっては誰一人としていない。まぁ、気楽でつつましい田舎暮らしの中で、糖が漏れてくるような食生活はなかなかできるものではない。そういった背景も糖尿知らずの"家系"となる所以なのだろう。

ただ、酒だけは飲む。親戚一同、男女問わず誰もが日々の晩酌を怠らないし、正月や盆や何かで集まればひたすら酒、酒、酒。特に高価なものや銘柄に拘るわけでもなく、アルコールが入っていればとにかく飲む。理由はわからない。頬を紅潮させ嗅げたものではない息を吐きながら、賑やかに飲んでいる。しまいには親戚だけではなく、近所の方々もやってきて、皆で頬を赤らめる。その雰囲気は、祭りに参加してはしゃいで皆でハメをハズしているような、なんとなくそれに近い。

とにかく私が知る故郷の人々は、同級生などを除けば誰もが皆酒好きだ。そんな中で育ったものだから、いつの間にか私も晩酌のクセがついている。もちろんアルコール依存症になってしまうほど、えげつない飲み方は滅多にしないが、例えば風呂上りのビール一本など――慢性的一定量以上の飲酒習慣にならぬ程度に、ほどほどに日々たしなんでいるつもりなのだが。

しかし、飲酒習慣が脳梗塞や脳溢血など、脳に何かしらの弊害をもたらす重い病の原因となることは様々なメディアで謳われていることだし、私もそう思う。私の親戚がこういった病で逝ってしまっているのは、ほぼ間違いなく飲酒習慣にあるだろう。ただ、こう言ってしまうのもなんだが、彼らはそれはそれはもう、私などとは比べ物にならないぐらいの酒量を日々体内に取り込んでいたわけで、「そりゃ脳もぶっ壊れちゃうよ」と納得せざるを得ない生活を送っていた。

例えば私の祖父は、毎朝を焼酎の緑茶割で向かえていた。そうして食事を摂り、昼ごろには様々な人たちが訪れるので、その人たちを相手にしながら日本酒を飲んで、夕方には酔いつぶれて一時眠る。数時間後に目覚め、食事を摂りながら家族や、まだ家に残っている仕事絡みの人々とともに焼酎やら日本酒を飲んで、宴もたけなわというところで風呂に入る。その後また何か飲んで、ようやく眠る。祖父の仕事の詳細はここでは省くが、少なくとも私が物心つくころにはこのような生活ぶりだったし、脳梗塞で倒れるまでの十数年間はこうだったので――そりゃ、脳どころか身体も参るだろう。ちなみにウチの父も結構な酒飲みではあるのだが、私の教育上祖父との同居はよろしくないと家を出たそうだ。

別に祖父の飲み方を恥じ入るわけではないが(むしろ尊敬している)、健康面での反面教師にしているので、父も私もさすがにこのような飲み方をしない。むろん、仕事をしたり通学していたりすればこんな生活を送れないので心配するまでもないのだけれど。

そんなわけで、注意を払いつつ晩酌を続けてきたつもりなのだけれど、それでも後頭部や心臓周囲が痛いとなると――ふっと、それらの病が頭をよぎる。いや、医学に関してズブの素人が何を想定したところで信憑性のカケラもないことはわかっているのだけれど、無知なだけにアレコレと不安になってしまうのだ。

「そのうち、頭がプチンときちゃうんじゃないかな」なんて不安に思ったり、それならすぐに病院に行くべきなのに足がすくんでしまったり、「私は一応まだ若いんだし」といったちょっと楽観的な期待でもって不安を一瞬打ち消したり……悶々と考え込みながら、「来週は病院だ」と決心し、湿布で痛みをごまかしていた。

しかし、今日になって、驚くほど身体が軽い。

「……寝違えたんじゃね?」と旦那。「ずっと言おうと思ってたんだけど、お前、寝相悪くてな、信じられない体勢でいつも寝てるんだよ。スジの一本や二本、簡単に痛めると思うぞ」

そうかも。そうかもしれない。よくよく考えてみれば、胸が痛いというのも、心臓そのものが痛いわけではなくて、心臓周囲の、そういわゆる胸筋ってヤツが痛かった。後頭部の痛みも、首の付け根とその周囲のスジが痛かっただけだ。風邪をひいたときのように、頭部全体がズキズキ、あるいはガンガン痛んでいるわけではなかった。

そっか。寝違えたのか。きっと、一度にいろんなスジを痛めちゃったから、何をしても激痛が走ったのだろうなぁ…。

何はともあれ、よかった。ほっ。「ついでにお前、歯軋り酷い」と言った旦那にも存分にキックを食らわせられる。

しかし、そんなに後から不安になるぐらいならお酒ヤメればいいじゃん、と思われる方もおいでだろうけれども――なかなかそう、上手くはいかないものでして。はい。

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