空を見上げりゃ空にあり
なんだか世の中は年金問題で騒がしいし、朝鮮総連本部の土地が元公安の人間に売却されていたことも気になる。何かのアンケートでは世の大半の方々がこれから物価が上がることを懸念しているらしいし、実際私もそう思ってどんよりしているし、それでいて例年より梅雨入りが遅いとかやっぱり地球温暖化だとかで、漠然と「この先どうなっちゃうのかなぁ」とまるで自分が霧の中にいるような、そんな気分になる。
あぁ全く、近頃つくづく思うのだが私ってば主にテレビで、つまらない情報ばっかり相手にしている。いつの間にかフジテレビ「トリビアの泉」は終了していたけれど、テレビを観ていても「へぇ~」「ふぅ~ん」どころか、「あぁー」と首を垂れてしまうような、ガックリきちゃうような、そんな話題ばっかりで、何となく気分は萎れてしまう。旦那はバラエティー番組が大好きで彼が居間にいる際は、お笑い芸人や司会者の発言がやたら賑やかに響いているのだけれど、テレビ局っていう躁うつ病の患者の躁状態を見せつけられているだけのようで、いまいち笑えない。「ぐふふふ」という旦那の不気味な笑い声に吹き出すことはあるものの、まぁとにかく、腰を痛めてからテレビと向かい合うことが多くて私もその生活に慣れきっていたけれど、私にテレビは向いていない。改めて、なるべく観るのはヤメようと思う今日この頃だ。
――なんて、どんよりムードな書き出しになってしまったけれど、特に気分が沈んでいるわけでもない。いや、疲れてはいるのだ。五月はやたらと気分を害する出来事が多かったし、ネチっこい自分は未だにそれらを引きずっているし、そんな自分に参っちゃうこともある。愛鳥はお陰さまですこぶる元気だけれど、陽気が取り得な旦那も5号機問題で塞ぎ込む日もあったし、心配だけれど私には何の力もないし、これまた参っちゃうわけだ。極めつけはギックリ腰に、今日に至ってはお茶を入れる際、左手の中指と薬指に軽く火傷を負ってしまった。あぁ全くどれだけツいていないのだろう。
ツいてない?――これもまた、特にツいていないわけではないのだ。五月にパチンコを打って以来、週に二度ほどピンクレディーを打ちにパチンコ屋へ足を運んでいるわけだが、二千円や三千円でスルスルと当たってアホみたいに連チャンしてくれるという、これがまた気持ちのいいくらい快勝で、まるで遠隔でもされてるんじゃないかと苦笑してしまうほどだ。ひょっとしたら、参っていた私をパチンコ屋が歓迎してくれているのかもしれない。
五月はつくづく、やんなっちゃうことが続いた。精神的にモヤモヤしてしまった出来事を一つ、挙げてみよう…なんて偉そうなクチを利いているけれど、とどのつまり愚痴である。
大学時代に在籍していたサークルのOB会なんてものがあったわけだが――コレは毎年のことで、とりあえず歴史だけは古いことがウリのサークルだから、定年も近い自分の父親ほどの年齢の人間から、今年入学したての一年生まで幅広く集まって、親睦を深める…という和気藹々とした会である。しかし実質的には、現在大学三年生ぐらいのこれから就職活動に入りつつある学生たちが、様々な業界に散らばっているOB連中に顔を売るという役割の方が強い。まぁ、既に結婚して主婦となった私には場違いなモノなのかもしれないが、それでも同じ時間を過ごした同期や先輩後輩、仲良くしてもらったOBたちと親しく話せる数少ない機会であるから参加するわけで、やっぱり親睦会は親睦会なわけである。
ちなみにウチの大学は、そこそこ名の知れた大学で、自分は入学するために受験勉強に励んだし、合格したことは実に嬉しく、それでいてどっぷり受験勉強に浸かれる環境を作ってくれた両親にとても感謝している(むろん両親には授業料などを支払ってくれたことにも感謝しているし、学問的には如何に何を学んだかがひどく重要なのだけれど、今のところ国内の大学は入学するために頑張らねばならないのでこういう表現が妥当だと思っている)。そんなわけで、と言ってもそれだけの理由ではないのだけれど、こんな背景も手伝って、その大学で時間を過ごせたことを私は嬉しく思っているし、おそらく同期の友人たちも似たような気持ちだろう。
いや、「それだけの理由」ではないどころか、「それ以外の理由」の方がより大きいからこそ、入学してよかったなぁと今でもしみじみできるわけで、今更どれだけ勉強したかに言及するなんて品の無い話で申し訳ない――のだが、ソレに触れておかねば、ちょいと話が続かないのだ。
OB会で初めて出会った大学三年生だか四年生だかの女性と、ビールを片手に世間話をした。長い黒髪にフワリとゆるいパーマがかかっていて、肌は褐色色、真っ黒な瞳がパッチリと開いた細身の、オリエンタルな雰囲気のあるキレイな方だった。現在の大学の様子であるとか学生時代にしたアルバイトなど、たわいもない話をしていたのだけれど、言葉遣いも丁寧だったし、一つ一つの表現を選ぶ際にどこか慎重になっているようで、生真面目な印象があった。そういう方の前でヘロヘロと酔っ払えないのでつい肩に力が入ってしまうけれど、嫌いじゃない。和やかに話しているつもりだった。
「現在は何をされているんですか?」――ふと、彼女から、私の近況に対する質問が出た。結婚して主婦をやっているよ、と答える。彼女は失礼ですが旦那様はどのような…と言うので、あぁパチンコ屋だよと何気なく答える。
「えっ!信じられない。何か理由があるんですか?だって私たちって、エリート教育を受けたエリートじゃないですか。結婚して主婦になって、しかも旦那さんパチンコ屋って…」
でっかい目をもっとでっかくして驚く彼女に、とりあえずビールをぶっかけるべきだったのか、今でも悶々とする。つくづく、喧嘩ってのは先に売るものだと思う。タイミングを逃すと苛立ちを晴らすこともできず、トイレに行くふりをして席を替えるのが関の山で、あぁ全く我ながら情けない。今となっては、彼女にというよりは、あの時何も答えずにその場を去った自分がひどくみっともなく、情けなく、チキショウってな気分なのだ。
ちなみに私も同期の友人も先輩後輩も、自分たちがエリートだなんて一度も考えたことも無ければ、エリートという言葉を念頭に置いたことすらなかったのではないだろうか。エリートというものは、例えば森進一が唄っているように「世の中の傘」となっている方のことであって、社会で大人として生きている人間がまずなり得るものであるから、少なくとも学生は異なる。それでいて自ら言わずとも、多くの方が「あの方は『世の中の傘だね』」なんて評価してくれるような存在であって、それはそれはステキな仕事を全うされている方のことを指すのだと思っていて、大学や会社の知名度で決定づけられるものではないのだ絶対に。だから官僚の方々、アナタ方は本来エリートと呼ばれるだけの仕事は沢山背負っているわけで、頑張って世の中の傘になって年金貰えるようにしてください、と強引なオチをつけたところでお休みなさい、皆様。
ホント、強引だな。
最近のコメント